研究所紹介  

イスラーム研究センターニューズレター Vol.1 No.1 

研究員紹介

 平成15年 8月25日発行 創刊号

研究成果
 
ニューズレター
 Vol.1No.1
■ 時代の要請に応えたイスラーム研究センター設立
     イスラーム研究センター長   森 伸生

■ 創刊号発行に寄せて
     学校法人拓殖大学理事長   藤渡 辰信

所蔵文献リスト
交通アクセス Maps ■ イスラーム研究のメッカに
     拓殖大学学長   武田 哲夫
更新履歴
講演会案内 ■ イスラーム研究センター設立によせて
     拓殖大学海外事情研究所所長   佐瀬 昌盛
研究会案内
活動記録 ■ サウジアラビア王国ジャナードリーヤ・フェスティバルに理事長参加
     イスラーム研究センター長   森 伸生
トップページ ■ サウジアラビア・イマーム大学副学長、拓殖大学理事長を表敬訪問
  ■ イスラーム研究センター設立記念シンポジウム開催
  ■ 特集 アズハル大学

   □ イスラーム世界の最高学府・アズハル大学
        イスラーム研究センター研究員   ザキ ムハンマド

   
□ アズハル留学の思い出
        イスラーム研究センター・シャリーア専門委員会副委員長                 
                                    徳増 公明

   
□ アズハルの思い出
        イスラーム研究センター・シャリーア専門委員会委員長
                                    武藤 英臣
  ■ 論考 イスラームと民主主義
     イスラーム研究センター主任研究員   柏原 良英
  ■ イスラーム研究センターの役割
     イスラーム研究センター客員教授・シャリーア専門委員会委員
                                    有見 次郎
   シャリーア専門委員会の発足にあたって
     イスラーム研究センター・シャリーア専門委員会委員
                                    富岡 幸喜
  ■ イスラームQ&A

■ お知らせ

■ イスラーム研究センタースタッフ紹介
 

発行人 拓殖大学イスラーム研究センター
編集人 イスラーム研究センター主任研究員 柏原 良英

 

◆◇◆時代の要請に応えたイスラーム研究センター設立◇◆◇ 
イスラーム研究センター長   森 伸生

 イスラーム研究センターの設立は拓殖大学海外事情研究所の附属機関として2002年12月1日に発足したが、本格的な活動を行うようになったのは、2003年4月1日に文京キャンパスに研究室を構えてからである。そしてその最初の行事として6月7日にイスラーム研究センター設立記念シンポジウムを開催し、センターの存在を一般の人たちにも広く紹介できた。このシンポジウムには約200数名の参加者を得て、改めて人々のイスラームへの関心の高さを実感させられた。
◆◇拓殖大学とイスラームの関係
 ここで何故当研究センターが拓殖大学に設立されたかについてその経緯を簡単に説明したい。大学とイスラームの関係は1900年の本学創立と共に始まったと言える。それは本学1期生の田中逸平氏がイスラームの信仰と実践を求めて1924年に日本人で二番目にマッカ巡礼を果して以来、本学ではイスラーム研究及びアラブ・中東研究、調査、交流などの活動が連綿と続けられてきた。また、その一環として本学は他大学に先駆けて1962年という非常に早い時期から外国語科目としてアラビア語を設け、イスラーム研究の一助としてきた。このように、イスラーム研究の歴史も古く、また現在もなお中東・アラブ地域をはじめイスラーム諸国において活躍している卒業生を多く有する本学において、創立100年記念事業の一つとして、長年の念願であった「イスラーム研究センター」が設立されたのである。それは大学内でのイスラーム研究の機運の高まりだけでなく時代の要請も後押した結果であったと考えている。
◆◇偏見の無いイスラーム情報発信への必要性
 最近の世界的な出来事を見回すと、しばしば「イスラーム」という言葉がその実態はあまりよく知られないままに、ニュースを賑わしている。一昨年アメリカで起きた一連のテロ事件をきっかけに「イスラーム」についての報道も多く流されるようにはなったが、その実態はと言えば、多くは欧米のメディアの報道を垂れ流しているに過ぎないものがほとんどであったと言える。このような状況の中でイスラームが浸透しているアジア諸国を隣人とする日本が無自覚に一方的な情報だけでイスラームの実態を理解した事になるのか大いに疑問を感じていた。いまこそ視点を変えて、イスラームが本来持っている基本を理解する必要に迫られているのではなかろうか。この意味でも今回、イスラーム研究センターが設立されたことは正に時代の要請に応えたものといえる。センター設立をきっかけに日本におけるイスラームの理解がより深いものになり、日本とイスラーム諸国との交流の促進へとつながっていくことを望んでいる次第である。
◆◇センターの活動内容
 センターは、イスラーム及びシャリーア(イスラーム法)に関する調査、研究を行い、広く社会にその成果を還元することを目的としている。その活動には、サウディアラビア・マッカのウンム・クラー大学、同マディーナのイスラーム大学、エジプトのアズハル大学、カタールのカタール大学をそれぞれ卒業した日本人ムスリムのイスラーム専門家が多数参画している。彼らがイスラーム諸国で学んだイスラーム学の知識を結集して、イスラーム及びシャリーアに関する調査、研究にあたり、当センターの研究事業体制を確立している。将来的には官民を代表とするイスラーム及びシャリーア研究のシンクタンクとなることをめざすものである。また、イスラーム及びシャリーア研究事業をより充実させるために、世界中の主なイスラーム研究機関との協力体制確立も企画している。

 また当センターでは、学問的な研究のみならず、日本国民に正しいイスラームを紹介することも重要な目的としていている。その目的達成の一環として、シャリーア専門委員会を設け産学共同事業を実施して、イスラーム諸国に進出している日本企業に対してイスラームに関する様々なカウンセリングなども行っている。さらに、以上のような研究事業を通して、シャリーアの理解を深めた、世界に貢献できる人材を育成することが当センターに課せられた重要な使命とも考えている。

 当センターの研究活動は当「ニューズレター」にてその経過を報告していくことになり、研究成果は年報にて詳細に報告することになる。

▲上に戻る▲  △トップページに戻る△

◆◇◆創刊号発行に寄せて◇◆◇
学校法人拓殖大学理事長   藤渡 辰信

 昨年12月、海外事情研究所に「イスラーム研究センター」を設置してから8ヶ月が経過しましたが、お陰さまで学内外の専門スタッフの協力の下、センター活動は順調に推移展開しております。

 国際社会におけるイスラーム圏諸国が、今後その存在と影響力を増大していくことは言う迄もありませんが、残念乍らわが国では必ずしも十分に理解されておらず、いまだ遠い異文化圏の国としてしか認識されておりません。とりわけ最大の石油供給国としてのイスラーム圏は、エネルギー戦略上わが国にとり極めて重要な地域であります。

 幸いにして戦前より本学はイスラーム学に関する長い伝統と実績を有し、その学統は戦後も連綿として継承され、斯界で多くの人材を輩出してきました。本学は今日のイスラームをめぐる新しい世界の動向に対応すべく、長年培ってきた知的、人的財産を再構築して、シャリーア研究をはじめ政治、経済、宗教、文化等に関する調査並びに情報収集、分析を通して、その成果を広くわが国社会に還元し、更には国家の中東政策立案にも積極的に提言してまいりたい。そう念願しております。

 国際大学を自負する本学の特性ある研究機関として、今後大きく成長発展することを期待して止みません。

▲上に戻る▲  △トップページに戻る△

◆◇◆イスラーム研究のメッカに◇◆◇
拓殖大学学長   武田 哲夫

 私は小学生の頃から、外国の地図を眺めては見知らぬ国について想像するのが好きだった。その後大学では経済学を専攻し、その魅力に惹かれて結局、経済から離れられなくなった。ただ、経済活動が行われる具体的な場について学ぶ機会がほとんどないのが物足りなかった。いわゆる地域研究が日本では余り活発でないのも合点がいかなかった。

ところが拓殖大学に奉職し、海外事情研究所の存在を知ってから考えが変わった。日本でも地域研究が地味ながら着実に行われているではないか。この海外事情研究所に今回新たにイスラーム研究センターが設立された。イスラーム圏に関して日本人(私も含め)の関心は増してきたが、全般的に知識は乏しく、それもほとんどが欧米経由の知識である。しかし、その重要性は今後益々高まることは疑いない。

イスラーム研究センターの設立は、拓殖大学の理念である「開拓者精神」にふさわしく、いずれはわが国の本格的なイスラーム研究のメッカとなることが期待される。

▲上に戻る▲  △トップページに戻る△

◆◇◆イスラーム研究センター設立によせて◇◆◇
拓殖大学海外事情研究所所長   佐瀬 昌盛

 拓殖大学は第二次大戦前から教員中にイスラーム圏研究者を擁し、さらに戦後いち早くアラビア語を外国語科目に中に取り入れなど、わが国における中東イスラーム世界の研究、アラビア語教育の両面で先駆け的な存在でありました。そこで育ち、さらに先輩の良き助言の下、イスラーム諸国の大学でいずれも数年の研鑽を積んだ壮青年層の実務家、研究者の厚い層にも恵まれています。その人材を中心として過般、イスラーム研究センターが海外事情研究所の付属機関として発足し、今年6月にはその御披露目行事ともいうべきシンポジウムが開催されました。学内外から約2百名参加者があり、その活発な報告、討議ぶりに私はすっかり感心しました。

 21世紀の日本は、イスラーム世界に対する曇りの無い理解を欠かすことができません。今年3月、サウジアラビア政府の招待で本学の藤渡理事長のリヤド訪問が実現しました。また、7月にはクウェイト国立大学学生1名が交流研修のため来学するなど、本学のイスラーム諸国側との交流も本格化する兆しです。交流と研究活動を通じてのイスラーム世界の理解を深める拠点となるのが、イスラーム研究センターであると信じます。皆様の積極的なご協力、ご助言をお願い申し上げます。

▲上に戻る▲  △トップページに戻る△

◆◇◆サウジアラビア王国 ジャナードリーヤ・フェスティバルに理事長参加◇◆◇
イスラーム研究センター長   森 伸生

 今年の1月8日から17日にかけて開かれた第18回目のジャナードリーヤ・フェスティバル(サウジアラビアの遺産と文化を紹介する催し)に拓殖大学藤渡理事長と私が、サウジアラビア政府の招待を受けて参加した。当初日本人の招待者の候補は30数名あったそうだが、大学に「イスラーム研究センター」を設立したとの理由で今回は私たちが選ばれたそうだ。

 ジャナードリーヤというのは、サウジアラビアの首都リヤードの北25キロのところにある村の名前である。期間中、そこでサウジ各地から集められた伝統技術の実演が行われており、サウジ各地の伝統技術が実際に見学できるようになっている。またこのフェスティバルのもう一つの目玉は、毎年様々なテーマでセミナーが開催されることである。今年は、「イスラームの真実」「イスラームのジハード」「テロに対するイスラーム」といった最近、世界の注目を集めているテーマが中心で、イスラームとテロの関わりを明確にしておかなければならない事情が伺えた。セミナーは会場をリヤード市内に移して連日行われていた。このセミナーにはサウジ国内外から招待された300名ほどの参加者があった。開会式のオペレッタでは、昨年2月に発表されたアブドッラー皇太子の和平案が強調され、「イスラームは和平を望んでいるが、相手側が砲撃と侵略で応えてくる」と暗にイスラエルを非難する場面もあった。

 今回のフェスティバルは特に平和をアピールする面が強調されていたようだ。それは9.11事件の実行犯にサウジ人が多数いたことへのアメリカからの非難を和らげる意味もあったものと思われる。もっともこのことに一番驚いたのはサウジ政府で、テロリスト達の行動をイスラームからの逸脱であると事件の当初から主張し続けている。またこのセミナーでもこの事件によってイスラームの誤解が広がったことに対して、国内的には正しいイスラームの教えをもっと徹底すべきであり、外に向かっても積極的に誤解を解く努力をすべきだとの声も多く聞かれた。

 一方、日本との関係について政府要人との会見の中から、おおむね好意的なものを感じた。それは固有の伝統文化を維持しながら発展している日本のように、サウジもイスラームの伝統と文化を維持しながら発展することを望んでいるからで、これからは経済ばかりでなく文化交流の面からも交流を深めていきたいとその要人は語っていた。

 今回のサウジ訪問中、多くの人と話す機会を得たが、今後イスラーム世界との交流、相互理解のためにも、現地での体験と実践を通して人々の中に生きているイスラームの研究が求められていると実感させられた旅であった。

▲上に戻る▲  △トップページに戻る△

◆◇◆サウジアラビア・イマーム大学副学長、拓殖大学理事長を表敬訪問◇◆◇

 サウジアラビアで今年の1月行なわれたジャナードリーヤの催しに藤渡拓殖大学理事長が招待された際、サウジアラビア国立イマーム・ムハンマド・ビン・サウード大学を訪問し、ルバイウ副学長と会談する機会があった。その後、副学長には自宅に招待されたりして、親交を深めることができた。今回、ルバイウ・イマーム大学副学長が日本にある同大学海外分校を視察するために来日され、拓殖大学訪問をたって希望されたことにより藤渡理事長との再会が実現した。

 一行は副学長のほかファハド・イマーム大海外分校統括部長、イブラーヒーム同大東京分校院長など5名のサウジ人で、拓殖大学からは藤渡理事長、武田学長、小倉学務部長、森イスラーム研究センター長、ザキ同センター研究員、武藤同センター・シャリーア専門委員会委員長、徳増同委員会副委員長が一行を出迎え、昼食をとりながら歓談した。その中で改めて両校の協力体制をこれから地道に築き上げていくことが確認された。昼食後、理事長室において記念品の交換が行なわれた。それから八王子キャンパスの視察の途中、学生たちとの交流の一環としてアラビア語クラスでの副学長によるアラビア語の特別講義が行なわれた。学生たちはアラビア語の授業に戸惑いながらも、副学長の熱心な講義に興味深そうに聞き入っていた。講義の後、何人かの学生に直接アラビア語の指導をしたりして学生たちも大いに刺激を受けていた。その後、一行は図書館と恩賜記念館を見学して大学を出発した。今回の副学長の訪問は、拓殖大学とサウジアラビア・イマーム大学との本格的な交流の道を開くこととなった。

◆◇◆イスラーム研究センター設立記念シンポジウム開催◇◆◇

 イスラーム研究センター発足を記念して6月7日午後1時半より小日向キャンパスでシンポジウム「イスラーム世界は今…」が開催された。参加者は200人余り、当大学の学生や関係者ばかりでなく一般の人の参加も多く、イスラームへの関心の高さを伺わせた。

 シンポジウムはイスラーム世界でのシンポジウム開催形式に則って、まずクルアーンの朗唱から始められた。次にイスラーム研究センター長である森伸生・海外事情研究所教授が「イスラームの人々と法(シャリーア)」と題して、基調講演を行った。その中でまずイスラームの特徴は、宗教を信仰と日常行為に分けて考えないことや、その基本に「主権在神」の思想があると説明された。その結果、シャリーア(イスラーム法)の持つ意味は、神の導きにより信者がいかに生きるべきかを提示するものであり、イスラーム社会の中で、どれだけ大きな位置を占めているかが強調された。

 続くパネルディスカッションでは、4人のパネラーがそれぞれの立場からイスラーム法およびイスラーム世界の現状について意見を述べた。まず当研究センターの柏原良英主任研究員からイスラームを理解するにはその大元にある神の存在を忘れてはならないとの指摘があった。その例としてイスラーム教徒は何か行動を起こす前に「ビスミッラー(神の御名によって)」と言ってから行動することや、神に感謝を表明する「アルハムドリッラー」という言葉が、挨拶の時はもちろん、果はくしゃみをした時にまで頻繁に使われていることを挙げ、人々は日常生活の中でも常に神を意識しながら生きていることを理解しないとイスラーム教徒の行動が理解できないと強調した。次に当センターの客員教授である渥美堅持東京国際大学教授からイスラーム世界の置かれている現状に対しての分析がなされた。とかく早急に解決を求めがちな日本人と違って彼らは長いスパンで物事を解決していこうとするので、そこが日本人にはイスラームを理解しづらくしている大きな原因ではないかとの指摘があった。そして今イスラーム世界は変化しようとしている過渡期であり、その結果が様々な事件として表れていること、この変化の結果を知るには少なくとも千年の時間が必要だとの話には参加者に問題の根深さを改めて思い起こさせたようであった。次にザキ・モハメッド研究員は、エジプト人ムスリム(イスラーム教徒)としての立場から日本での体験を通して、イスラーム社会と日本社会の違いについて話した。彼が一番驚いたのは、初対面の人にいきなり年齢を聞かれたことだそうだ。エジプトでは、まず相手の信仰をたずね、少なくとも相手の信仰を傷つけないように注意することから始まるのが普通だったので信仰というものに無神経な日本人に驚いたようだ。さらにイスラーム社会の日常にある規律について話した。

 次に同センターの武藤英臣客員教授が4人目のパネラーとして「日本企業とシャリーア」の関係を具体例を挙げながら、イスラーム社会と関わらざるを得ない日本企業の務めとして、これからは「企業活動に伴って、様々な局面でイスラーム法に違反していないかどうかが問われるようになってくる」と述べ「企業関係者は、何がイスラーム法に反するかについて知らなさ過ぎる」とした。そのために同センター内にシャリーア専門委員会を作り、企業を含めた日本とイスラーム社会との相互理解を進める仲介となるよう努力していくと表明した。

 最後にコーディネーターを務めた同センターの有見次郎客員教授から、このシンポジウムを通してイスラームの持つ多様さを参加者に理解してもらえただけでも、この会を開催できたことの意義は大きいことと、かつて江戸庶民の相談役として有名だった小石川の赤ひげ先生になぞらえて同センターがイスラームに関する相談所となっていくことを目指して活動していくことの希望が述べられて、シンポジウムは幕を閉じた。

イスラーム研究センター設立記念祝賀会開催

 シンポジウム終了後、会場を茗渓会館に移し午後4時よりセンター関係者による祝賀会が催された。この祝賀会には理事長を始め、チュニジア大使やサウジアラビア臨時大使、エジプト大使館の文化参事官などの外国大使館関係者、外国通信社特派員、日本人イスラーム団体関係者など日本におけるイスラーム関係者が一堂に会してセンターの設立を祝った。

▲上に戻る▲  △トップページに戻る△

◆◇◆特集 アズハル大学◇◆◇

◆◇イスラーム世界の最高学府・アズハル大学◇◆
イスラーム研究センター研究員 ザキ ムハンマド

 世界で一番古い大学はどこかという話題になると、必ず挙げられるのがエジプトのアズハル大学の名前である。アズハル大学は世界最古の大学であるばかりでなく、イスラーム世界における影響力はいまだに健在である。特にイスラーム法(シャリーア)の権威として、事あるごとに出されるファトワー(法勧告)は、多くのイスラーム教徒の拠り所となっている。今回特集として取り上げたのは、その歴史的背景を理解しておくことの重要性と、当センターのメンバーにそこで実際に学んだ体験を持つ者が存在するという幸運に恵まれたからである。読者の皆様にはアズハル大学の特異性とそこに学ぶ学生達の姿を想像していただきたい。

 アズハル大学の設立のきっかけは、イスラーム教シーア派のファーティマ朝(909−1171年)がエジプトを征服し、アズハル・モスクをカイロの中央モスクとして西暦970年に設立したことに遡る。その後、972年に付属教育機関(マドラサ)が併設され、教育も開始された。これがアズハル大学の最初である。その目的は、シーア派の布教にあった。そこは宣教・学術の中心として約2世紀の間国家の厚い保護を受け、次のアイユーブ朝下でスンナ派へ移行された。
次のマムルーク朝(1250−1517年)時代にイスラーム世界はモンゴル軍の征服やレコンキスタ等により衰退したが、アズハルでは諸学が爛熟、完成し、各分野で百科全書が編纂され、カイロは学術・芸術の都となった。

 1517年以降のオスマン朝下にあってもアズハルはイスラーム諸学とアラビア語学の拠点としてイスラーム知識人の育成を続けた。近代に入り、オスマン朝は西欧列強との戦いから国内の様々な分野における改革を推し進める必要性を感じるようになった。アズハルにおいてもオスマン朝から派遣されたムハンマド・アリーの手によって、改革が行われた。1826年にはフランスを中心に各国に留学生を送った。フランスに留学した44人のイスラーム宗教指導者の一人であったリファーア・タハターウィーは、帰国後女子教育の必要性を説き、エジプト近代化に大きな役割を果たした。

 しかしエジプトが1876年以降イギリスの植民地となってから、近代化改革は国内に司法の世俗化と世俗教育を広め、アズハルの影響力は低下していった。さらに、アズハル大学は1936年の法令でモスクから分離され、イスラーム神学、イスラーム法学、アラビア語学の伝統3学部として再編成された。
1952年のエジプト革命で共和国に移行し、アズハルは政府機関になった。また1961年の法令で、医学部、工学部、理学部等も設置された。1970年以降はイスラームの知識人の地位向上に努め、スンナ派最大のイスラーム知識人集団を擁するようになった。

 アズハル大学は創立以来伝統的に全イスラーム世界からの留学生の教育を使命とし、最近では大学だけで常時3千人以上が在籍している。アズハリーと呼ばれる卒業生はイスラーム世界の宗教指導者や裁判官、政府の高官や大使、教授や教員等として勤め、能力を発揮している。

▲上に戻る▲  △トップページに戻る△

◆◇アズハル留学の思い出◇◆
イスラーム研究センター・シャリーア専門委員会副委員長   徳増 公明

 私が日本人の仲間5人と一緒にアズハル大学に留学したのは、1965年3月であった。これはエジプト政府の官費留学生としての招待によるもので、海外旅行もままならない時代、我々はまだ見ぬ世界に夢を膨らませて旅立ったのを思い出す。

 我々が滞在した学生寮は、マディーナト・ル・バウース(使節の町)と呼ばれ、高い塀に囲まれた広大な土地に中に、4階建ての寮が40数棟も建っていた。まさに町で、そこには大きなモスクや日常品を売る店や喫茶店、クリーニング店から床屋までそろっており日常生活はすべてその中で事足りた。また寮の入口は警察が24時間警備にあたり、出入りする人をチェックしていたので治安も行き届いていた。そこには100カ国以上の国々からやって来た約3000人の男子学生が暮らしており、年齢も子供から高齢者までと様々なら、教育レベルも小学校から博士課程までと幅広い、イスラーム世界の縮図を見ているようだった。勉強が終わった学生は三々五々学食などに集まり、時間を気にすることも無く夜遅くまでお茶を飲みながら、それぞれの国の話やイスラームの状況など、とりとめも無く話すのが娯楽だった。このような生活を通してイスラーム諸国の事情やイスラーム世界の広がりを実感できたことは何よりの体験だった。

 学校の方は、我々はすぐに大学に入学できるほどのアラビア語の力が無かったので、シェイフからまずアラビア語初歩の特別レッスンを受けた。2年程して、各自が目的の学部等に入った。私はシャリーア学部に入学した。大学は寮からバスで10分ほどの所にあり、有名なアズハル・モスクに隣接していた。モスクの周りは観光客も多い旧市街で賑やかな所だが、モスクや大学の中は町の喧騒を忘れさせる落ち着いた雰囲気がいつも漂っていた。授業はイスラーム学の最高学府だけあり、イスラーム世界で有名な学者が講義を行うことも多かった。そんな中、大学の厳しい試験に悩まされながらも1976年にアズハル大学法学部を卒業することが出来た。

▲上に戻る▲  △トップページに戻る△

◆◇アズハルの思い出◇◆
イスラーム研究センター・シャリーア専門委員会委員長   武藤 英臣

 私は昭和42年から四年間アズハル大学イスラーム法学部で勉強しました。当時を思い出して一番印象に残っているのは期末試験のことです。それについて少し書いてみます。

 法学部の期末試験は口頭と筆記の二部に分かれていました。口頭試験では、試験官教授と一対一で向かい合います。学生が受験番号と受験票に記された名を告げ教授の指示を待ちます。教授はクルアーンの一節を朗誦し、途中から「後を続けなさい」と促します。学生はそれに続くクルアーンの節を「そこまで」と教授から言われるまで、朗誦しなければなりません。少しでも間違えると注意され、誤りの前のところからやり直さなければなりません。

 最初のクルアーンの試験の時に言われた教授の言葉を今でも鮮明に記憶しています。それは「ムスリムである以上クルアーンは記憶すべき。アラビア語は正しく発音すべき。アズハルで勉強するなら昨日ムスリムになろうが、生まれがムスリムであろうが、両者は同じだ」です。次いで、教授は二番目の科目について聞くと述べ、「何々について説明せよと!」と言います。これに対し、学生は教授の顔を見ながら喋り捲ります。黙ったり、詰ったりしてはいけないと言われました。教授はふむふむと聞くだけで、クルアーン朗誦試験のように誤りの指摘や注意は一切ありません。このように、三科目、四科目と続けられました。試験時間は一人に三時間でしたが教授も出来の悪い学生と一対一で長時間付き合うのは苦痛と見えて、通常は一時間余りで終わっていました。

 口頭試問が終わって10日ほどして、筆記試験が始まります。一科目の試験時間は三時間。B4判32頁ほどのノート状解答用紙と小紙片に記された試験問題が配布されます。2日か3日おきの筆記試験は6月末まで続けられました。

 口頭と筆記試験で13科目のうち2科目までの不合格は仮進級できます。3科目不合格の場合は留年となります。しかし留年の年に再試科目の一つでも不合格となれば、その時点で除籍処分を受けて放校にされてしまいます。4年間のストレートで卒業する者は、入学時の一割程度でした。私の場合も入学時には330名でしたが、同期入学の卒業生は32名でした。

▲上に戻る▲  △トップページに戻る△

◆◇◆論考 イスラームと民主主義◇◆◇
イスラーム研究センター主任研究員   柏原 良英

 今回のアメリカによるイラク戦争の大儀の一つに、フセイン大統領による独占恐怖政治からイラク国民を解放しイラクに民主的な政権を作るというものがあった。そしてその民主的な政権を作るには西欧型の民主主義によらなければならないと声高に叫ばれていた。しかしフセインはいなくなったが、未だに新たな民主的政権は表れてこない。ここに来て、アメリカ主導による西欧型民主主義ははたしてイラク国民に受け入れられるのか大いに疑問視されて来た。イスラーム世界においてイスラームを無視した民主主義が受け入れがたいことは容易に想像される。さらにイスラームと民主主義は両立しうるものなのかという問題もある。これからイスラーム世界でもこの民主主義をどのように取り扱うか、あるいはイスラームとの関係でどのように社会の中に取り入れられていくのかを知ることはわれわれ日本人にもおおいに関心のあることだと思われる。

◆◇民主主義の多様性

 イスラーム社会において民主主義が根付くには、言うまでも無くイスラーム教との兼ね合いで、それがイスラーム教の原則に反しない範囲にあることである。一般的に言われる民主主義は欧米社会における民主主義が前提にされていて、今回のアメリカの求める民主主義も自分達の認めるものとしての民主主義を実現しようと躍起になっている。しかし西欧型の民主主義がかつての絶対的権力を握っていたキリスト教会勢力から民衆が権力を自分達の手に戻すことによって作られたことを考えると、根本的な社会の相違がそこに見られ、そのままイスラーム社会に適用できないことが分かる。イスラーム社会においては、いつの時代でも主権はあくまでも神にあって、人は神の代理としての権威を預かる者である事が基本にある。政治を任された国王や指導者たちは神の教えを実現するための政治を行ない、人々はその実現を求める権利を有する。為政者は自分達の権力のために人々を迫害してはならない。また神の権利を否定することもできない。このような社会において民主主義を求めようとするなら、おのずと西欧型の民主主義とは異なる形のものが求められることになろう。
◆◇イスラーム民主主義
 それでは欧米型の民主主義とは異なる形の民主主義をイスラーム社会で実現するには何が必要になるのであろう。歴史的にイスラーム社会が採ってきた政治制度を見ると、3つの原理がそこにある。それはタウヒード(神の唯一性)、リサーラ(啓示)、ヒラーファ(カリフ制度)で、現在最後のヒラーファは廃止され、イスラーム社会を統括し代表するカリフは存在しない。しかし先のタウヒードとリサーラを守るための政治を行なうのがカリフの役割であったことを考えれば、現在のイスラーム諸国政府がこの役割を負う立場にあることが容易に理解されよう。そしてこの3つの原理を無視してはイスラーム社会が機能しないことも事実である。民主主義もこの3つの原則を取り入れた形でなければ受け入れられない。
◆◇イスラーム民主主義の機能としての三つの概念
 以上のことを実現させるための機能としてイスラーム社会で行なわれていた形態として、次の3つの方法がある。それは1.シューラー(協議)2.イジュマー(合意)3.イジュティハード(法解釈)である。これらはシャリーア(イスラーム法)における法源とされてきたものであるが、これをイスラーム民主主義の制度として生かしていくことが考えられる。

1.シューラー
 古典的解釈ではシューラーは、支配者が他の人々に助言を求める過程と見なされていた。しかしクルアーンの解釈では、一人の人間が他の人に助言を求めるという意味ではなく、むしろ同等の有資格者が議論を通して相互に助言を求め合うことを意味している。このことから西欧社会における議会と同じ機能をここに求められる。

2.イジュマー
 伝統的にイジュマーは、権威ある法学者間の合意に限られていた。そのため一般ムスリム民衆の合意は共同体の生活においてそれほど重要視されなかった。しかし近代においてこの合意の概念に含まれる柔軟性が見直され、合議と合わさって重要視されるようになった。

3.イジュティハード
 イジュティハードは法学者の前例に無い問題解決のための個人的解釈の努力を言うが、様々な問題をイスラームに照らして社会の中で最善の解決を図る努力は、法学者だけの特典から広げて解釈することにより、多くの人々の参加がそこに実現すると考えられる。

▲上に戻る▲  △トップページに戻る△

◆◇◆イスラーム研究センターの役割◇◆◇
イスラーム研究センター客員教授・シャリーア専門委員会委員   有見 次郎

 かつて一学徒として中東で研鑽を重ねていた頃、もう4半世紀前になるが、わが国でイスラーム法に関するシンポジュームが開催されたことがある。当時からイスラーム法への関心は高く研究機関の設立が望まれていた。しかし残念ながら専門機関はその後作られることは無かった。ここに当研究センターが開設されたことで、これからは様々な分野における研究に取り組むことが容易になるであろう。なぜなら、シャリーア(イスラーム法)の及ぶ範囲は、個人自らの魂の救済を図るいわゆる宗教的義務に関する指針ばかりでなく、共同体の政治、経済など社会全般の運命にも関わりがある一切であり、それらを規律するアッラーのメッセージの集約がこのシャリーアであると認識されているからである。このためセンターにおける活動も多岐に渡らざるを得ないが、これからは様々な要求に応えられるような研究に大いに期待がかけられるであろう。

 特にシャリーア専門委員会に関わる者として、研究領域については、その広範な法体系の中から唯一のテーマを求め基礎研究を重ねると同時に、日常におけるシャリーア関連業務についての役割を担うこともあり、機に応じて敏なることを求められてもいる。これはわが国における専門領域に関する常識からすれば、途方もないことなのである。

 そのような状況の中で選んだ私の研究テーマは、イスラーム初期における政治的協定文書、書簡、演説等を翻訳研究していくこととした。それらはその内容の示すものがイスラームの本質を自ら語っていることと、異文化間における様々な協定は、相互の共存、共生を示唆していると考えるからである。

 前述の通りシャリーアは懐が深く、個人の力だけでは太刀打ちできないものがあり、理解に長けた先学諸氏の御教示、御叱正を仰ぐことなくして研究活動は存続し得ないと考えている。

▲上に戻る▲  △トップページに戻る△

◆◇◆シャリーア専門委員会の発足にあたって◇◆◇
イスラーム研究センター・シャリーア専門委員会委員   富岡 幸喜

 中東を中心として東南アジアから西アフリカまで広大な地域に広がるイスラーム世界の相貌は極めて変化に富んでおり、これを一括りにして論ずることにはある種の危険が伴う。とは言え、イスラーム世界の住人はもとより、世界中のどの国にあってもムスリムであるならば、共通の価値観、行動原理を持っていることもまた事実である。

 サウジでもアメリカでもモスクからは同じ声が聞こえ、人々は同じ所作で祈りを捧げる。宗教を公教育の場に持ち込まないという原則のあるフランスでも、女子学生はヒジャーブと呼ばれるスカーフを被る権利を認めよと主張する。日本のようにムスリムが極めて少ない国であっても、信者用の食肉が流通している。

 このように聖俗取り混ぜて、ムスリムの生活のあらゆる局面を統べ、彼らの行動基準となっているのがシャリーア(イスラーム法)である。バーミヤンの仏像破壊であれ、ポケモンのおもちゃを子供に与えることの是非であれ、イスラームの知識人たちが戦わす議論は全てシャリーアに基づいている。換言すれば、シャリーアのロジックはムスリムの共通語のようなものなのである。我々がイスラーム世界で起きていることを理解しようとするとき、シャリーアの理解が不可欠である所以である。

 日本にとってイスラーム世界を理解することが極めて重要であることは、もはや共通認識となっている。しかし、イスラームの多様性を目の当たりにした時、一体何を以ってイスラーム理解の端緒とすべきか途方に暮れているのが現状ではないだろうか。神学や社会学的なアプローチが無駄だと言うつもりはないが、彼らの行動原理や価値観がシャリーアに深く根付いていること、また、大きなトレンドとしてイスラーム世界全体で顕著になっているイスラームへの回帰現象が、シャリーアを再生し、それを現実の政治に反映させること−即ちシャリーアによる統治の実現−を主題としていることを考えれば、シャリーアへの理解を深めることこそが、まず初めに取り組むべき課題ではないだろうか。シャリーア専門委員会に期待される役割は、まさにこの点であろうと考えている。

▲上に戻る▲  △トップページに戻る△

◆◇◆イスラームQ&A◇◆◇

質問  住宅保険や損害賠償保険などの任意保険について、イスラーム法ではどのように扱われるのでしょうか?
回答  保険会社の住宅保険や損害賠償保険などの任意保険は、利子を伴うものであることから、禁止されています。しかし、例外として住宅などで災害が懸念される場合など、どうしても必要とみなされれば、それは許されます。
   
回答者 アリー・アルクッラダーギー博士(カタール大学シャリーア学部教授)
(イスラーム・オンラインより)
   
  (注) この必要とみなされるケースは、地震や火山噴火などの自然災害の恐れがあり、なおかつ他の救済が無く、保険に頼らざるを得ない場合という意味です。(ザキ研究員)

◆◇◆お知らせ◇◆◇

 来る10月27日当センター主催のシャリーア講演会が茗荷谷キャンパスにて開催される予定です。

▲上に戻る▲  △トップページに戻る△

◆◇◆イスラーム研究センタースタッフ紹介◇◆◇

イスラーム研究センター構成員

イスラーム研究センター長:  森  伸生

昭和26年生まれ。
拓殖大学政経学部卒。サウディアラビア・ウンム・ル・クラー大学イスラーム法学部卒。
拓殖大学海外事情研究所教授。

イスラーム研究センター主任研究員:  柏原  良英

昭和26年生まれ。
拓殖大学商学部卒。サウディアラビア・ウンム・ル・クラー大学イスラーム法学部卒。
拓殖大学政経学部非常勤講師。

イスラーム研究センター研究員:  ザキ  ムハンマド

1957年エジプト、カイロ生まれ。
アズハル大学外国語学部卒。明治大学大学院政治経済学研究科博士前期過程終了。元テレビ朝日カイロ支局記者。元NHK国際放送アラビア語アナウンサー。
拓殖大学国際開発部非常勤講師。

イスラーム研究センター兼担研究員:  遠藤  義雄

昭和23年生まれ。
拓殖大学政経学部卒。パキスタン・ぺシャワール大学留学。
拓殖大学海外事情研究所教授。 

イスラーム研究センター兼担研究員:  中島  隆晴

昭和48年生まれ。
拓殖大学政経学部卒。トルクメントルコ国際大学修士課程中央アジア研究科卒。
拓殖大学海外事情客員研究員。

イスラーム研究センター客員教授:  武藤  英臣

昭和16年生まれ。
拓殖大学商学部卒。エジプト・アズハル大学シャリーア学部卒。
亜細亜大学国際関係学部非常勤講師。(宗)日本ムスリム協会教務部部長

○イスラーム研究センター客員教授:  徳増  公明

昭和18年生まれ。拓殖大学商学部卒。エジプト・アズハル大学シャリーア学部卒。アラビア石油株式会社勤務。日サ協会・日ク協会事務局長。(宗)日本ムスリム協会会長。

○イスラーム研究センター客員教授:  渥美  堅持 
昭和13年生まれ。拓殖大学政経学部卒。エジプト・アズハルに留学。東京国際大学国際関係学部教授。(財)昭和経済研究アラブ調査室室長。
○イスラーム研究センター客員教授:  飯森  嘉助 
昭和12年生まれ。信州大学教育学部卒。エジプト・アズハル大学アラビア語学部卒。前拓殖大学政経学部教授。
○イスラーム研究センター客員教授:  有見  次郎 
昭和22年生まれ。
東洋大学社会学部社会学科卒。サウディアラビア・ムハンマド・イブヌ・サウード大学神学部留学。
中央大学法学部兼任講師。拓殖大学政経学部非常勤講師。日本女子大学人間社会学部非常勤講師。
○イスラーム研究センター客員講師:  四戸  潤弥
昭和27年生まれ。
早稲田大学政経学部卒。東京大学新聞研究所卒。カタール大学イスラーム法学部卒。
早稲田大学大学院法学研究科修士課程修了。同志社大学神学部教授。

シャリーア専門委員会

委員長  /イスラーム研究センター客員教授  :  武藤  英臣
副委員長/イスラーム研究センター客員教授  :  徳増  公明
委員   /イスラーム研究センター長        :  森    伸生 
委員   /イスラーム研究センター主任研究員:  柏原  良英
委員   /イスラーム研究センター研究員   :  ザキ  ムハンマド
委員   /イスラーム研究センター客員教授  :  有見  次郎 
委員   /イスラーム研究センター客員教授  :  四戸  潤弥
委員   /(宗)日本ムスリム協会理事     :  富岡  幸喜

 

▲上に戻る▲  △トップページに戻る△

 


 

拓殖大学 イスラーム研究所
〒112-8585
東京都文京区小日向3-4-14
拓殖大学文京キャンパス内
TEL: 03-3947-2419
FAX: 03-3947-9416
e-mail: info@shariah-inst.com