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イスラーム研究センターニューズレター Vol.1 No.2 

研究員紹介

 平成16年 1月23日発行 

研究成果
 
ニューズレター
 Vol.1No.2

■ 『日本人にシャリーアを理解してもらうには』 
    シャリーア専門委員座談会
■ エジプト・シリア訪問記
    イスラーム研究センター長   森 伸生
 JAKIM(マレーシア・イスラーム開発局)を訪ねて
    シャリーア専門委員会委員長  武藤 英臣
 イスラームQ&A

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発行人 拓殖大学イスラーム研究センター
編集人 イスラーム研究センター主任研究員 柏原 良英

 
     

◆◇◆『日本人にシャリーアを理解してもらうには』◇◆◇ 
シャリーア専門委員座談会

司会  当イスラーム研究センターも4月から活動を始めてシンポジウムや講演会を開いてイスラームの理解には、シャリーアの理解が欠かせないということを訴えて来たのですが、まだまだ十分に理解されたと言えないと思います。そこで今回当センターのシャリーア専門委員の皆さんにお集りいただいて、少し趣向を変えて、座談会形式で出来るだけ分かりやすくシャリーアを説明してもらおうと企画してお集りいただきました。
 
◆◇シャリーアと法律の違いは何か?
司会  それではまず本題に入る前にもう一度シャリーアの基本をおさらいしておきたいと思います。シャリーアは、一般的にイスラーム法と訳されていますが日本人が考えているような法律とは大きく異なります。まずこの法は唯一なる万物の創造主アッラーが預言者ムハンマドを通して人類に授けた導きであるとイスラーム教徒に受け止められていることです。ですからシャリーアはイスラーム教徒が現世においていかにアッラーの望むように生きていくかを体系付けたものといえます。そこには人間が生きていく上で関わるあらゆることが示されています。
有見  そのあらゆることが法によって規定されていることが、日本人にシャリーアを理解しづらくしているのではないでしょうか。さらにこのシャリーアを理解しないとイスラームが理解できないとなると、益々日本人にはイスラームが理解不能ということになりそうですが。
武藤  先程から法律の話が出ているんだけど、日本人一般の考える法律はどういうものかを定義しておかないとシャリーアとの違いが分かりづらいのではないですか。
司会  ここに岩波の広辞苑がありますから調べてみましょう。これによると法とは、「社会秩序維持のための規範で、一般に国家権力による強制を伴うもの。」とあります。簡単にいえば、人がスムーズに社会生活を営むための規則で、それを守らない者には国が強制的に罰したりして守らせるものと、なります。
 もちろん、シャリーアにも社会秩序を維持する規則はあります。それはシャリーアの中で、ムアーマラートと呼ばれる商取引や結婚離婚や相続など、毎日の生活の中でイスラーム教徒同士の関係を規定する部分でいわゆる、日本人が考えている法律に当たると思います。しかしシャリーアはその他にイバーダートと呼ばれる信仰行為も含んでいるところが特徴です。日本人には信仰のような精神的なものにはそれが反社会的なものでない限り、法律は関知しないのが常識です。
司会  政教分離ですね。
 そうですね。これはイスラームが信仰と行為とか聖と俗といった一人の人間が置かれている状況を分けて考えないで、常に全体的に統括して考えているからだと思います。
 
◆◇誰のために法は守られるのか?
徳増  それと法を守らせるには国家の強制力を伴うというところが、誰にも知られなければ法律を破っても問題ないという逆の意識がひょっとしたら、芽生えて出てくるのではないのでしょうか。よく法律は現実にはいたちごっこのように、法律が出て来るたびにそれをすり抜ける者が現れ、それを取り締まる為にまた法律を作るということが聞かれます。それは強制されなければ法律は守られないということです。シャリーアも一般の法律と同じように違反すれば罰が与えられますが、一般の法律では見つからなければ罰せられないというところが、違います。シャリーアは神の定めた法ですから、それが実行されるか、されないかを見るのも神です。例え他人の目は誤魔化せたところで神の目は誤魔化せないということになります。
富岡  最終的には神の審判によって裁かれることになる訳ですね。今、ラマダーン月の断食の時期なのですが、よく周りの人から、「誰も見ていないんだから食べればいいのに。」と言われて困ってしまうことがあります。日本人の感覚からすれば、誰にも迷惑をかけている訳ではないんだから見つからなければいいということでしょうが、そこがイスラーム教徒と違う点でしょうか。
ザキ  イスラーム教徒は、頭のどこかでいつも神を意識しているんです。それに自分の行動は天使によって常に記録されていると思えば、人が見ていなければやっても良いとは言えなくなるんですね。シャリーアを守るのは国の強制があるからではなくて、それがアッラーの命令だから守る、誰からも強制されなくても自発的に行うということだと思います。
 
◆◇イスラームは戒律の厳しい宗教なのか?
司会  今の神の命令だか守るというところも日本人にはなぜ神が人間の行動をいちいち規制 しなければならないのか分からないのではないでしょうか。
有見  誤解しないように言って置きますが、決して全ての行為が規制されている訳ではありませんよ。シャリーアでは人の行動を5つに分けています。イスラーム教徒として行わなければいけないこと、行ってはいけないこと、行うことが好ましいが行わなくても罪にはならないこと、行わない方がいいが行っても罪にはならないこと、行っても行わなくても良いことの5つです。しかし日本人が考えるほどあれをしてはいけないとか、しなければいけないということは日常生活ではそんなに多くないのです。ほとんどは「行っても行わなくても罪にはならない行為」という部分、つまり人の行動の選択に自由に任せられる部分にあたるのです。
武藤  やはり日本人にはお酒を飲んではいけないとか、豚肉を食べてはいけないとかということだけで、生活全般にイスラームは戒律が厳しい宗教だというイメージを持たれてしまっているのではないのでしょうか。
富岡  でもイスラームから見れば、日本人も結構規則に縛られているところがあると思うことがありますよ。それを自覚していなだけで。
司会  例えばどのようなことがありますか。
富岡  例えば、盆や正月になるとそれこそ国を挙げて神社やお寺にお参りに行きますけど、なんで普段は行ったことのない人でもその時期だけ行かなければならないのか、イスラーム教徒からすれば不思議でしょうね。それから毎日暦を見ながら、今日は友引だから葬式は出来ないとか、大安でなければ結婚式はしないとか、どんな根拠があるのか考えもしないでただ昔から決まっていることだからといって頑なに守っている人もいます。それはある意味規則だらけの生活といえなくもないと思うのですが。
ザキ  ええ!毎日、良い日と悪い日が決まっているのですか?誰がそれを決めるのですか?
富岡  それは誰というわけではなく、社会の慣習とか伝統とかいうものでしょう。当然社会が変わればそれも変わるものですが、日本には結構そういうものがあるんです。だから日本人もイスラームにばかり戒律を見ようとしますが、自分達にもそれはあるんだということをもっと自覚してほしいですね。
徳増  そう考えると日本の我々の日常生活でシャリーアで禁じているものは、一般の法律と同じ殺人、窃盗などと食生活上の酒と豚肉等とでそんなに多いと言えないような気がします。
司会  でもその二つは日本人の大好物に入るから、よりインパクトが強いのではないのでしょうか。
 
◆◇シャリーアは変化しないのか?
司会  ところで先ほどの日本人は社会が変われば規則も変わるのは当然だと思っているということですが、シャリーアでも変化はあるのでしょうか。
 シャリーアの基本はクルアーンと預言者の言行録であるハディースですから、それに書かれていることについては変化はないのですが、それ以外の現実の社会で起きる出来事を解決するにはこの二つから法学者が答えを導き出すことになります。それは主にムアーマラートと呼ばれる日常行為に関わる部分で見られます。
富岡  しかしその変化は以前の規則が変わってしまって無くなると言うことではありません。その意味ではシャリーアは、変化しないと言えるかもしれません。
有見  日本人にはこの変わらないと言うことがマイナスなイメージに捉えられがちですが、何を信じていけばいいのか分からず社会全体が不安定になっているのを見ると、社会全体で一つの価値観を守っていくことは、それなりに意義があることではないかと思えます。
司会 イスラーム社会は、ともすれば古い慣習にとらわれた社会と見られがちですが、大切なものを大事に守り続けている社会と考える方が正しいイメージになるということですね。
 
◆◇法と信仰の関係
司会  それからまた戻るようですが、日本人にシャリーアが分かりづらいのはやはり法律と信仰が結びついていることではないでしょうか。法律は社会に暮らす人と人との関係を円滑にするための規則であって、宗教はそれぞれの個人的な内面的なことで他人は入るべきではないと一般的には受け止められているように思えます。しかし日本で法律を守るか守らないかは、個人や社会の倫理に委ねられている訳ですよね。これは、安定した社会ならうまくいくと思いますが、今の日本のような混沌とした社会ではどうなんでしょうか。
徳増  確かに、今の一部の日本人はものごとの善悪を明確な基準のないまま自分自身の判断で決めているように見えます。そして、自分の利益にならないことには無関心です。
ザキ  シャリーアを守るか守らないかは、まず個人の信仰に委ねられています。何故なら、シャリーアを定めたのはアッラーであり、それを守るのは信者の義務であると同時に喜びでもある訳です。
司会  嫌なことでも、喜びになるのですか?
ザキ  アッラーの命令は、我々を来世での天国へ導くための指針でもあるからです。
武藤  その辺を理解するのは、来世の存在を信じられない人には難しいかもしれませんね。
徳増  しかも来世の方は永遠ですから、ムスリムにとって、いかにして天国に入るかが大きな問題です。
 イスラームは戒律が厳しくて日本人には受け入れられないと言う人がいますが、それが厳しいかどうかの問題ではなくて、根本的にそれを受け入れることで救われると考えるのがイスラームであり、またそこに生きていく意義があるのだと考えるのがイスラーム教徒なんだということになるのでしょうか。まずはそのあたりの理解から始めてもらうのが一番だという結論になるようですね。
司会  今日は、皆さんが日本社会の中で日頃感じていることを率直に話していただき有り難うございました。これが日本人のイスラーム理解の一助にでもなれたらと期待しています。

座談会出席者

委員長  イスラーム研究センター客員教授  武藤 英臣
副委員長    イスラーム研究センター客員教授  徳増 公明
委員   イスラーム研究センター長  森  伸生
委員(司会)  イスラーム研究センター主任研究員  柏原 良英
委員  イスラーム研究センター研究員  ザキ ムハンマド
委員  イスラーム研究センター客員教授  有見 次郎
委員  (宗)日本ムスリム協会理事  富岡 幸喜

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◆◇◆エジプト・シリア訪問記◇◆◇
イスラーム研究センター長   森 伸生

 今回、イスラーム研究センターの本格的な活動を始めるに当たり、当センターの海外での知名度を上げる意味と、エジプトとシリアのイスラーム関係者と直接会ってこれからのお互いの協力関係を築くきっかけを作ることを一番の目的に、ザキ・ムハンマド同センター研究員と一緒に目的地に向かった。期間は8月2日から12日までの10日間で、その間エジプトとシリアの主だった大学関係者やイスラーム学者との会談に動き回った。折からの猛暑の中ではあったが、少ない時間を生かすべく出来る限りの会談を行って、当センターの宣伝に努めてきた。以下、日程と訪問先を大雑把に報告する。

 8月3日、エジプトにて、イスラーム最高権威とされているアズハル大学を訪問し、タンターウィー・アズハル総長、学長、各学部長と会談することができた。さらに、アズハル総長の紹介で、エジプト・最高法官(ムフティー)に会うことができた。先方はそろって、同研究センターの設立を祝福し、今後の活躍を期待し、同時に、いかなる知的支援、交流を惜しまないことを約束してくれた。

 総長は高齢ながら、非常に多忙な毎日を送っている。当日午前中に面会に行ったが、講演と会議の合間のほんの10分だけの会談となった。いつもテレビと新聞で拝見するだけの方であったが、実際に会ってみると非常に温厚な人柄が伝わってきた。ところが、この温厚さが、エジプトの人にとっては物足りないようで、彼に対する評価も二分されているようだ。例えば、総長は金曜日の合同礼拝ではいつも、ムバーラク大統領のために特別に祈りを捧げているが、このことについて、「それによって、ムバーラクにゴマをすっているのだ。つまり総長は権力者におもねる人物で、いつも大統領の言いなりだ。」と非常に辛らつなことを言う者もいれば、一方では「いやいや、総長はなかなか老獪だ。今は政府に逆らっても、何も残らないから無駄な抵抗はしない。ムバーラクのために祈るのもムバーラクがまだ不十分であることの間接的な当てこすりをしているのだ。完璧ならわざわざ祈る必要はないはずだから」との意見もあり、政治と宗教の関係はどこでも微妙なものだ。

 一方、エジプトのムフティー(最高法官)は、非常に精悍で若々しく見えた。ムフティーは私たちのセンターについて「センターに色々な人が集まり、様々な意見が出てくるだろうと思う。しかし、それによってセンターが分裂することのないように、調整しなければならない。人の意見に頑固な態度ではよくない」と助言してくれたことが印象的だった。

 4日、エジプト最大のアハラーム新聞社の研究所を訪問し、事務局次長と地域研究員と会談。国際言語学院を訪問し、副校長と会談。5日、カイロ大学を訪問し、政経学部長、文学部副学部長、東洋研究センター長と会談。拓殖大学との友好関係がこれからも続いていくことを確認した。6日、イスラーム法的解釈委員会訪問。そこで日々庶民からの質問に答えているイスラーム法学者と会談し、シャリーアに関するいくつかの質問状を提出した。回答は翌日受け取ることが出来た。1時間ばかり、同委員会の中で、座っている間にも、次から次へと質問者が途絶えることがなかった。ある者は結婚について、ある者は財産分与についてと様々な相談を抱えてやって来るのである。彼等一人一人にイスラーム法的解答をするのであるが、これは全く無料である。日本ならば、弁護士に相談するだけで一定の料金を払うことになる。ここでは尋ねる者も答える者もシャリーア(イスラーム法)に忠実に生きていこうと努力している人々の姿が伝わって来る。正にイスラーム世界でシャリーアが生活の中で生きていると、実感させられる。丁度この時、一人のイスラーム法学者の後ろに5人ほどのマレーシア人の若者がいて、法学者が質問者との問答を一言一言しっかりと聞いている光景が目に入った。彼らはマレーシアからやってきた学生たちであり、イスラーム法学者がどのように質問者に接し、回答を出しているかを学びに来ているとのことだ。つくづく、イスラーム世界の一体感を感じる情景であった。

 8日、シリアへ移動。9日、ダマスカス大学政治研究所を訪問し、所長、研究員と会談。イスラーム学校アブー・ヌール学院を訪問し、学院長と会談。学院長の父親がシリア最高法官のクフタロー師なので、同師にも会うことができた。同師は94歳の高齢だが、毎週、元気にモスクで説教をしている。私たちの来訪を祝福し、同師も日本への訪問経験があるので、特に日本のイスラーム状況など熱心に聞き入り、最後に日本のイスラームの発展のために祈ってくださった。また学院の日本人留学生と面会し、留学状況について尋ねた。10日、イスラーム法学者を訪問し、会談。11日、エジプトに移動。12日、帰国。

 以上の日程で関係諸機関を訪問し、関係者と出来うる限り会談してきたが、訪問した先々で日本における当研究センターの存在意義を高く評価してもらえた。今後の活動で協力できる分には援助を惜しまないとの約束を得られたことは大きな成果であった。イスラーム法学者との会談では、日頃、疑問に思っていることを話し合うことができ、学問的成果も上げることができた。今後、イスラーム法関連の質問にも直接、受け付けてくれる同意を得た。それぞれの訪問先では各機関の発行しているイスラーム法関連の出版物が多数、イスラーム研究センターへ寄贈された。その他、大学との関連では、本学生の短期、長期の留学先としてのいくつかの語学学校などを訪問して、その状況を調べてみたが、夏休み研修などでも受け入れ態勢は整っているので、今後の短期語学研修に生かせるものと考える。長期留学先として、シリアのイスラーム学校アブー・ヌール学院もイスラーム研究センターの推薦で受け入れることなどが確認された。

 これからの目標として、今回の訪問をきっかけに、今後の相互訪問、業績交換などから始めて、お互いの信頼を構築していくことが重要であると実感した次第である。

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◆◇◆JAKIM(マレーシア・イスラーム開発局)を訪ねて◇◆◇
シャリーア専門委員会委員長  武藤 英臣

 マレーシア連邦政府首相府にJAKIMという機関があります。これはマレー語で「マレーシア・イスラーム開発局」の略称です。国民の50%強をイスラーム教徒で占めるマレーシアにおいてはこのJAKIMが政府の中でイスラーム事案を担当する部局で、ハラール(HALAL)認証もここが発行しています。

 この「ハラール(HALAL)」という言葉は「神から禁止された行為で、その行為を人が行えば罰を受ける」というイスラーム法用語「ハラーム(HARAM)」の反対語として理解されています。これを簡単に言うと、「ハラール」とは「ハラームではない」わけで、ハラール認証を受けたものはイスラーム法において禁止されていないものである、ということになります。これによって、ハラール食品はイスラーム教義上合法的な食品であると理解されるのです。

 外食産業の盛んな今、料理する場所、方法、食材や食品の一つひとつの原材料、製造工程、包装、輸送等の全てを消費者が個人でイスラームに反していないかを知ることは大変難しくなっています。そこで、JAKIMは、それらを調査し、食品にはハラール商標、レストランにはハラール・マークを発行することで、イスラーム教徒消費者に信仰上の問題がないことを明らかにしています。

 JAKIMはクアラルンプールから25キロほどのマレーシア新行政都市プトラジャヤの連邦政府中央集合庁舎の中にあります。私が10月10日にJAKIMを訪たとき、丁度、同局創設35周年記念祝賀式が行なわれていました。

 私がアズハル大学の卒業生であることが分り、アラビア語での会話となり、結局、1時間も同局で話しこんでしまいました。私は、拓殖大学イスラーム研究センター、同シャリーア専門委員会や日本のハラール認証について説明しました。

 局長は、一般的なイスラーム教徒団体によってハラール認証がなされるより、拓殖大学シャリーア専門委員会のようなムスリム学識者機関でハラール認証がなされることが望ましい、と話されました。さらに局長は、マレーシアに輸入される海外製品のハラール認証の際、これまでJAKIMスタッフが製造現場へ出向き、検査を行っていたが、2003年7月から海外のハラール認証機関をJAKIMが認証する方式も採用していると話してくれました。

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◆◇◆イスラームQ&A◇◆◇

質問  私は、旅行中現金を落したり、盗難に会わないために銀行のクレジットカードを使用していますが、このカードは年会費を取られ、もし私が買い物の代金の返済に遅れると利子を取られるのですが問題にはなりませんか?
回答  あなたが使っているそのクレジットカードには問題があると思います。何故なら、その年会費は、シャリーアで禁じられているリバー(利子)と考えられるからです。更に買い物の支払いが遅れることで利子が発生することは問題です。但し、あなたのように旅行で安全のため現金を持ち歩くことが不安であれば、必要最低限に限って使用が許されると考えます。
   
回答者 アブドッラーイブヌジャブリーン氏(サウディアラビア在)
(ニダーウルイーマーンwww.al-eman.com、ファトワ番号10596より)
   
  (注) このようなケースに対処してアラブ諸国では年会費や利子の発生しないクレジットカードも発行されている。(ザキ研究員)

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◆◇◆イスラーム研究センター・講演会開催◇◆◇

 イスラー研究センター主催による講演会が、昨年10月25日午後1時半より文京キャンパスで開催された。これは当研究センターの重要な目的の一つでもある、出来るだけ多くの日本の人にシャリーア(イスラーム法)をもっと理解してもらうことの一環として計画された。今回の講師は、神戸モスク(礼拝所)の導師を勤めるムフセン・シャーキル・バイユーミー師にお願いした。師はエジプトのアズハル大学を卒業し、3年前に大学から派遣されて神戸モスクを中心にイスラームの活動をされている。講演のテーマは「イスラーム教徒の日常生活とシャリーア」という題で、一般庶民とシャリーアの関わりを特に結婚と離婚に絞って話していただいた。講演は、アラビア語とその翻訳を交互に行う形式だった。参加者は70人余り、当大学の学生や関係者ばかりでなくアラブ人の参加も見られ、講師の話に耳を傾けていた。

 講演はシャリーアとは何かという基本から解き明かし、その時代によって変化する部分と変わらない部分があること、またその特徴は人間の本性にそった法であることが語られた。そのことからイスラーム社会においてはシャリーアが人々の日常の中に自然な形で根付いており、その基本には信仰と日常行為が分離しがたく存在していることが見て取れる。その一つの例として師は結婚を取り上げてシャリーアの観点から説明された。あいにく時間がなくて、予定されていた離婚の話までは進めず、それについてはまたの機会ということになって講演が終わった。

 

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