司会 |
当イスラーム研究センターも4月から活動を始めてシンポジウムや講演会を開いてイスラームの理解には、シャリーアの理解が欠かせないということを訴えて来たのですが、まだまだ十分に理解されたと言えないと思います。そこで今回当センターのシャリーア専門委員の皆さんにお集りいただいて、少し趣向を変えて、座談会形式で出来るだけ分かりやすくシャリーアを説明してもらおうと企画してお集りいただきました。 |
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◆◇シャリーアと法律の違いは何か? |
司会 |
それではまず本題に入る前にもう一度シャリーアの基本をおさらいしておきたいと思います。シャリーアは、一般的にイスラーム法と訳されていますが日本人が考えているような法律とは大きく異なります。まずこの法は唯一なる万物の創造主アッラーが預言者ムハンマドを通して人類に授けた導きであるとイスラーム教徒に受け止められていることです。ですからシャリーアはイスラーム教徒が現世においていかにアッラーの望むように生きていくかを体系付けたものといえます。そこには人間が生きていく上で関わるあらゆることが示されています。 |
有見 |
そのあらゆることが法によって規定されていることが、日本人にシャリーアを理解しづらくしているのではないでしょうか。さらにこのシャリーアを理解しないとイスラームが理解できないとなると、益々日本人にはイスラームが理解不能ということになりそうですが。 |
武藤 |
先程から法律の話が出ているんだけど、日本人一般の考える法律はどういうものかを定義しておかないとシャリーアとの違いが分かりづらいのではないですか。 |
司会 |
ここに岩波の広辞苑がありますから調べてみましょう。これによると法とは、「社会秩序維持のための規範で、一般に国家権力による強制を伴うもの。」とあります。簡単にいえば、人がスムーズに社会生活を営むための規則で、それを守らない者には国が強制的に罰したりして守らせるものと、なります。 |
森 |
もちろん、シャリーアにも社会秩序を維持する規則はあります。それはシャリーアの中で、ムアーマラートと呼ばれる商取引や結婚離婚や相続など、毎日の生活の中でイスラーム教徒同士の関係を規定する部分でいわゆる、日本人が考えている法律に当たると思います。しかしシャリーアはその他にイバーダートと呼ばれる信仰行為も含んでいるところが特徴です。日本人には信仰のような精神的なものにはそれが反社会的なものでない限り、法律は関知しないのが常識です。 |
司会 |
政教分離ですね。 |
森 |
そうですね。これはイスラームが信仰と行為とか聖と俗といった一人の人間が置かれている状況を分けて考えないで、常に全体的に統括して考えているからだと思います。 |
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◆◇誰のために法は守られるのか? |
徳増 |
それと法を守らせるには国家の強制力を伴うというところが、誰にも知られなければ法律を破っても問題ないという逆の意識がひょっとしたら、芽生えて出てくるのではないのでしょうか。よく法律は現実にはいたちごっこのように、法律が出て来るたびにそれをすり抜ける者が現れ、それを取り締まる為にまた法律を作るということが聞かれます。それは強制されなければ法律は守られないということです。シャリーアも一般の法律と同じように違反すれば罰が与えられますが、一般の法律では見つからなければ罰せられないというところが、違います。シャリーアは神の定めた法ですから、それが実行されるか、されないかを見るのも神です。例え他人の目は誤魔化せたところで神の目は誤魔化せないということになります。 |
富岡 |
最終的には神の審判によって裁かれることになる訳ですね。今、ラマダーン月の断食の時期なのですが、よく周りの人から、「誰も見ていないんだから食べればいいのに。」と言われて困ってしまうことがあります。日本人の感覚からすれば、誰にも迷惑をかけている訳ではないんだから見つからなければいいということでしょうが、そこがイスラーム教徒と違う点でしょうか。 |
ザキ |
イスラーム教徒は、頭のどこかでいつも神を意識しているんです。それに自分の行動は天使によって常に記録されていると思えば、人が見ていなければやっても良いとは言えなくなるんですね。シャリーアを守るのは国の強制があるからではなくて、それがアッラーの命令だから守る、誰からも強制されなくても自発的に行うということだと思います。 |
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◆◇イスラームは戒律の厳しい宗教なのか? |
司会 |
今の神の命令だか守るというところも日本人にはなぜ神が人間の行動をいちいち規制 しなければならないのか分からないのではないでしょうか。 |
有見 |
誤解しないように言って置きますが、決して全ての行為が規制されている訳ではありませんよ。シャリーアでは人の行動を5つに分けています。イスラーム教徒として行わなければいけないこと、行ってはいけないこと、行うことが好ましいが行わなくても罪にはならないこと、行わない方がいいが行っても罪にはならないこと、行っても行わなくても良いことの5つです。しかし日本人が考えるほどあれをしてはいけないとか、しなければいけないということは日常生活ではそんなに多くないのです。ほとんどは「行っても行わなくても罪にはならない行為」という部分、つまり人の行動の選択に自由に任せられる部分にあたるのです。 |
武藤 |
やはり日本人にはお酒を飲んではいけないとか、豚肉を食べてはいけないとかということだけで、生活全般にイスラームは戒律が厳しい宗教だというイメージを持たれてしまっているのではないのでしょうか。 |
富岡 |
でもイスラームから見れば、日本人も結構規則に縛られているところがあると思うことがありますよ。それを自覚していなだけで。 |
司会 |
例えばどのようなことがありますか。 |
富岡 |
例えば、盆や正月になるとそれこそ国を挙げて神社やお寺にお参りに行きますけど、なんで普段は行ったことのない人でもその時期だけ行かなければならないのか、イスラーム教徒からすれば不思議でしょうね。それから毎日暦を見ながら、今日は友引だから葬式は出来ないとか、大安でなければ結婚式はしないとか、どんな根拠があるのか考えもしないでただ昔から決まっていることだからといって頑なに守っている人もいます。それはある意味規則だらけの生活といえなくもないと思うのですが。 |
ザキ |
ええ!毎日、良い日と悪い日が決まっているのですか?誰がそれを決めるのですか? |
富岡 |
それは誰というわけではなく、社会の慣習とか伝統とかいうものでしょう。当然社会が変わればそれも変わるものですが、日本には結構そういうものがあるんです。だから日本人もイスラームにばかり戒律を見ようとしますが、自分達にもそれはあるんだということをもっと自覚してほしいですね。 |
徳増 |
そう考えると日本の我々の日常生活でシャリーアで禁じているものは、一般の法律と同じ殺人、窃盗などと食生活上の酒と豚肉等とでそんなに多いと言えないような気がします。 |
司会 |
でもその二つは日本人の大好物に入るから、よりインパクトが強いのではないのでしょうか。 |
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◆◇シャリーアは変化しないのか? |
司会 |
ところで先ほどの日本人は社会が変われば規則も変わるのは当然だと思っているということですが、シャリーアでも変化はあるのでしょうか。 |
森 |
シャリーアの基本はクルアーンと預言者の言行録であるハディースですから、それに書かれていることについては変化はないのですが、それ以外の現実の社会で起きる出来事を解決するにはこの二つから法学者が答えを導き出すことになります。それは主にムアーマラートと呼ばれる日常行為に関わる部分で見られます。 |
富岡 |
しかしその変化は以前の規則が変わってしまって無くなると言うことではありません。その意味ではシャリーアは、変化しないと言えるかもしれません。 |
有見 |
日本人にはこの変わらないと言うことがマイナスなイメージに捉えられがちですが、何を信じていけばいいのか分からず社会全体が不安定になっているのを見ると、社会全体で一つの価値観を守っていくことは、それなりに意義があることではないかと思えます。 |
司会 |
イスラーム社会は、ともすれば古い慣習にとらわれた社会と見られがちですが、大切なものを大事に守り続けている社会と考える方が正しいイメージになるということですね。 |
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◆◇法と信仰の関係 |
司会 |
それからまた戻るようですが、日本人にシャリーアが分かりづらいのはやはり法律と信仰が結びついていることではないでしょうか。法律は社会に暮らす人と人との関係を円滑にするための規則であって、宗教はそれぞれの個人的な内面的なことで他人は入るべきではないと一般的には受け止められているように思えます。しかし日本で法律を守るか守らないかは、個人や社会の倫理に委ねられている訳ですよね。これは、安定した社会ならうまくいくと思いますが、今の日本のような混沌とした社会ではどうなんでしょうか。 |
徳増 |
確かに、今の一部の日本人はものごとの善悪を明確な基準のないまま自分自身の判断で決めているように見えます。そして、自分の利益にならないことには無関心です。 |
ザキ |
シャリーアを守るか守らないかは、まず個人の信仰に委ねられています。何故なら、シャリーアを定めたのはアッラーであり、それを守るのは信者の義務であると同時に喜びでもある訳です。 |
司会 |
嫌なことでも、喜びになるのですか? |
ザキ |
アッラーの命令は、我々を来世での天国へ導くための指針でもあるからです。 |
武藤 |
その辺を理解するのは、来世の存在を信じられない人には難しいかもしれませんね。 |
徳増 |
しかも来世の方は永遠ですから、ムスリムにとって、いかにして天国に入るかが大きな問題です。 |
森 |
イスラームは戒律が厳しくて日本人には受け入れられないと言う人がいますが、それが厳しいかどうかの問題ではなくて、根本的にそれを受け入れることで救われると考えるのがイスラームであり、またそこに生きていく意義があるのだと考えるのがイスラーム教徒なんだということになるのでしょうか。まずはそのあたりの理解から始めてもらうのが一番だという結論になるようですね。 |
司会 |
今日は、皆さんが日本社会の中で日頃感じていることを率直に話していただき有り難うございました。これが日本人のイスラーム理解の一助にでもなれたらと期待しています。 |