◆◇はじめに
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信徒たるムスリム(イスラーム教徒)はアッラーへの服従と帰依とによって安寧と救済を求める。したがって信徒が現世において行うべき日常の諸行は、唯一にして無二、絶対者であるアッラーから示された公明な道、シャリーア(イスラーム法)に従わねばならないとされているのである。シャリーアの言語上の意味は、人間や家畜が水を求めてたどる道、水場にいたる道のことである。アッラーから啓示されたメッセージが、万物への規範として示されたシャリ−アとしての意味を持ち、イスラームにおける法の源泉となっている。
“われは真理によって、あなたがたに啓典を下した。それは以前にある啓典を確証し、守るためである。それでアッラーが下されるものに従って、かれらの間を裁け。あなたに与えられた真理に基づき、かれらの私慾に従ってはならない。われは、あなたがた各自のために、聖い戒律と公明な道を定めた。”(クルアーン5章48節)
アッラーの啓示したクルアーンは、天使ジブリール(ガブリエル)が介在し預言者の封緘として遣わされたムハンマドに伝えられたアッラーのことばであり、イスラームの啓典である。イスラームにおける法源として揺ぎ無き位置にある。次いで優るとも劣らない法源として預言者ムハンマドのスンナがある。スンナは預言者ムハンマドのことば、行為、黙認事項であり、後にハディースとして集成され伝えられている。預言者のスンナはハディースに求められるのである。 |
◆◇1.イスラーム法の法源としてのクルアーンとスンナ |
クルアーンは、すべてのウラマー(イスラーム学者)が法の根拠とするところである。またクルアーンに次ぐ法源としてのスンナは、アッラーの言葉そのものではなく、預言者自らの言行等を意味するとはいえ、その意味内容は、常にアッラーの許から授かったのである。
シャウカーニー(1760〜1834、イエメンの代表的法学者)の著述に依れば、「わたしはクルアーンを授かり、またそれと同様の事柄を授かっている」と預言者が語ったと言う。
スンナがクルアーンに次ぐ位置づけは、クルアーンに明記されている。
“われは明瞭な印と啓典とを、授け(てかれらを遣わし)た。われがあなた(ムハンマド)にこの訓戒を下したのは、かつて人びとに対し下されたものを、あなたに解明させるためである。”(16章44節)
預言者ムハンマドのスンナは、単に礼拝や断食や巡礼と言った宗教儀礼的規範(イバーダート)に限定されることはなく、クルアーンに啓示されている明文を預言者自らの行動をもって範となし、さらに事項を明確化するのである。預言者としての資質を疑う者たちに対しては、次の章句が示される。
“あなたがたの同僚は、迷っているのではなく、また間違っているのでもない。また(自分の)望むことをいっているのでもない。それはかれに啓示された、おつげに外ならない。“(53章2、4節)
シャリーアの法源としてのスンナは、人びとの間の紛争を預言者が裁定を下していたのである。その判定を心から納得し、信頼することは、アッラーの許に服従、帰依したムスリムにとっては義務となっているのである。
アッラーのメッセージであるクルアーンは言うに及ばず、預言者ムハンマドのスンナにシャリーアの法源を求めなければならないのである。 |
◆◇2.クルアーンとスンナの編纂 |
クルアーンにおいて最後に啓示されたシャリーアに関する章句は5章3節である。
“今日われはあなたがたのために、あなたがたの宗教を完成し、またあなたがたに対するわれの思想を全うし、あなたがたの教えとして、イスラームを選んだのである。”
この啓示以後にはハラーム(禁忌)とハラール(合法)に関する啓示はなく、アッラーの懲罰に関する281節、
“あなたがたは、アッラーに帰される日のために,(かれを)畏れなさい。”
だけで、この啓示を最後に預言者は九日後に逝去したと伝えられている。クルアーンの啓示が預言者の逝去によって途絶えたと同時に預言者のスンナも同様に終えることとなった。
イスラームの宗教共同体であるウンマの建設を聖都マディーナに求め聖遷(ヒジュラ)した預言者とその遷行者たち(ムハージルーン)、そしてマディーナにおいてかれらを迎え入れた援助者(アンサール)たちは、イスラームの法規範の適用を預言者の生存中は、直接かれに求めることができたのである。
預言者の死後のムスリムの拠り所は、クルアーンの暗誦者や預言者の行動を目の当たりにしていた教友(サハーバ)たちによって、正確に伝えられていたスンナである。
ところが、預言者の死をもって喜捨(ザカート)の拠出を拒む背教者(ムルタッド)が現れた。それらとの戦いにおいて失われ逝くサハーバたちを憂い、初代カリフ(預言者の後継者)アブーバクル=アッスイッディークは、二代カリフ、ウマル=イブヌルハッターブの提唱によるクルアーン結集を始めた。やがてそれは三代カリフ、ウスマーン=イブヌアッファーンによって現在入手可能なクルアーン、通称ウスマーン版として完成された。
一方のスンナについては、預言者の意図するところから記録が省かれ、ハディース(言行録)として逝去後2世紀を経て編纂されている。このシャリーアの法源としてのハディースの編纂は、イスラームの版図の拡大による地域差、また時を経て預言者と時を共有したサハーバたちも失われていく中にあって、イスラーム法学者の切実な要求から始められた。公正さを求められるシャリーアからすれば、極めて当然とも言えることでもある。
それは、異なる地域、文化、習慣の中でそれぞれが個人的解釈(ラアイ)に基づく勝手な解釈の横行する有様となり、本来のシャリーアから逸脱する傾向を阻止することとなった。 |
◆◇3.イジュマー(法学者の一致) |
預言者、そのサハーバたち以降の時代になると、シャリーアの適用について、指示を求められたのは、クルアーンとスンナに精通するイスラーム法学者(ウラマー)たちの意見の一致である。
“あなたがた信仰する者よ、アッラーに従いなさい。また使徒とあなた方の中の権能をもつ者に従え”(4章59節)
“だがかれらがもしそれ(戦況)を使徒、またはかれらの中の権威を委ねられた者たちにただせば、それを判断できる。”(4章83節)
イスラーム法学(フィクフ)とは、知識、理解を意味し、基本的にはクルアーンとスンナを基礎として、シャリーアに適用させる学問である。また、法源そのものを人為的に作り出すことのできないイスラーム法において、法学者の一致(イジュマー)とは、その学問的努力をいう。
このような学問的努力も、ザーヒリー派(法学派の一つ。この名称は『クルアーン』とスンナのテキストの明白な(ザーヒル)な意味に依拠する、というこの学派の基本的態度に基づいている)ではイジュマーウに関して、特定の時代における意見の一致であって普遍性に欠けるとされ、また地域差ゆえに異なる意見を生むとして避けられている。しかし、初期イスラーム時代のイジュマーは認めている。 |
◆◇4.キヤース(類推) |
イジュマーに次ぐ法解釈学の原則の一つとして、キヤース(類推)がある。キヤースとはイスラーム法学の基礎を完成させたシャーフィイーによって、当時解釈上に主流を占めていたラアイ(個人的解釈)を退け、クルアーン、ハディース、イジュマーに次ぐ法源として確立された解釈であり、クルアーンやハディースに明記のない問題について、類似した事項から三段論法によって演繹される。
キヤースを法源として認めるイスラーム法学者たちの中にあって、ザーヒリー派や一部のシーア派ではこれを否定している。
ザーヒリー派の主張はクルアーンとスンナ、そしてサハーバたちの知力による言行に論証を求めることである。例えばクルアーンの中から次のような明文を見い出せる。
“あなたがた信仰する者よ、アッラーに従いなさい。また使徒とあなたがたの中の権能をもつ者に従え。あなたがたは何事に就いても異論があれば、アッラーと終末の日を信じるのなら、これをアッラーと使徒に委ねなさい。それは最も良い、最も妥当な決定である。”(4章59節)
彼らは、シャリーアについての具体的な記述をもってキヤースの必要性を否定する。シャリーアに従わねばならないことについては、異論の余地はない。しかし、キヤースが適用されることの証明として59章2節には、次のような明文がある。
“だがアッラーはかれらの予期しなかった方面から襲い、かれらの心に怖気を投げ込み、それでムスリムたちと一緒になって、自分の手で、かれらの住まいを破壊した。”
そのようなことがあるから、信者は訓戒とするよう諭される。当時のユダヤ教徒のナディール族を例に、ムスリムといえどもかれらと同じ人間であるから、その行動が、もしかれらと同様になれば、同様の事態に陥るとの訓戒が導き出される。
また他に例を見い出すならば、36章79節に
“言ってやるがいい。「最初に御創りになった方が、かれらを生き返らせる。」”
とある。これらの啓示は、アッラーから信者に与えられたキヤースの訓練であるとされている。
キヤースを肯定するにしても、キヤースを行う者がその法源とするのは、クルアーンとスンナであり、それらのテクストの明文を確認したのちに初めてなされるのである。 |