研究所紹介  

イスラーム研究センターニューズレター Vol.2 No.4 

研究員紹介

 平成17年 3月25日発行 

■ イスラーム法入門(4) 
    イスラーム研究センター客員教授 有見 次郎

■ カタール・アラブ首長国連邦訪問記
    イスラーム研究センター主任研究員 柏原 良英

 RISEAPの派遣教師プログラム










研究成果
 
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 Vol.2No.4
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発行人 拓殖大学イスラーム研究センター
編集人 イスラーム研究センター主任研究員 柏原 良英

 
 

◆◇◆イスラーム法入門(4)◇◆◇ 
イスラーム研究センター客員教授  有見 次郎

◆◇シャリーアの諸規範 (前号から続き)

 
◆◇4.刑罰に関する諸規範
 権利、公正を保つため健全な社会を樹立することを目的とする規範をいう。財産、個人、宗教などについて安全が求められるとき、その社会においてこれらの事柄に保障が求められないような罪を犯した場合、次の刑罰が定められている。

  固定刑(ハッド)
  同態復讐刑(キサース)
  矯正刑(タアズィール)

 固定刑については、クルアーンに「これはアッラーの掟である。」(第2章187節)とあるように、アッラーの定めた規則に反する違反行為に対して課される罰のことである。それらは姦通罪、中傷罪、窃盗罪、飲酒罪、追いはぎ・強盗、背教、横暴な不正行為の7種の犯罪があてはめられる。ただしここで飲酒、背教、横暴な行為については固定刑に含まれないとする者もある。

 同態復讐刑は殺人、傷害に関する罰則である。クルアーン第2章178節に

 「信仰する者よ、あなたがたには殺害に対する報復が定められた。自由人には自由人、奴隷には奴隷、婦人には婦人と。だがかれ(加害者)に、(被害者の)兄弟から軽減の申し出があった場合は、(加害者は)誠意をもって丁重に弁償しなさい。」とある。

 正当な理由による以外はアッラーが禁じられた者を殺してはならない、とされる第17章33節の規定を破った場合、加害者に対して報復が認められている。そしてもし被害者の男系親族が報復を放棄して、加害者が被害者側にディヤ(血の代金)を支払うこともできる。これはセム族に息づく報復の連鎖を終止させる有効な手段として考えられる。しかしディヤの額は、殺人、傷害によって異なるが、必ずしもディヤが事態収拾の手段となっているわけではない。

 矯正刑は固定刑、同態復讐刑以外のシャリーアに罰の規則のない刑罰である。

 偽証、偽誓、贈収賄、詐欺等が含まれ、イスラーム社会を害するすべての罪に対して課せられる罰である。裁判官に裁量が委ねられている。

 刑罰に関する諸規範の種類について述べたにすぎないが、これらの罪が果たして、現世か来世の一方で裁かれるのか、双方共にその罪が問われるのか、議論が分かれている。

◆◇5.平和と戦争に関する諸規範
 一般国際法と呼べる分野で、イスラーム圏(ダールッ=サラーム)と、非イスラーム圏(ダール=ル=ハルブ)との関係の中で、ムスリムに規定される法規範であり、さらに被保護者(ズィンミー)、被安全保障者(ムスタアミン)、敵対する民たちにも及ぶ規範である。というのもイスラーム社会における法的規範の目的とは、安全と平和裡の中に和解を実現するという人間関係を作り上げることにあるからである。

 「人びとよ、われは1人の男と、1人の女からあなたがたを創り、種族と部族に分けた。これはあながたを互いに知り合うようにさせるためである。アッラーの御許で最も貴い者は、あなたがたの中最も主を畏れる者である。本当にアッラーは全知にして凡ゆることに通暁なされる。」(第49章13節)

 ムスリムと被保護者の関係については、

 「宗教に強制があってはならない。まさに正しい道は迷誤から明らかに分別されている。」(第2章256節)

 とあるように宗教的自由を相互に認め合い、被保護者に対し決して宗教を強制しない。そしてムスリムはユダヤ教徒、キリスト教徒の女性と結婚できるし、その妻が教会に出かけることを阻止する権利は夫にはないこと。またかれらの宗教の合法とする飲食物についても規制はない、等々の自由を認め合うのである。

 被安全保障者は、被保護者と同様の自由を保障されている。商売や使者として非イスラーム圏から入国した場合、諜報活動やイスラームを弱体化させる行動を取るのでなければ、かれらに安全が保障されるのである。非イスラーム圏(ダール=ル=ハルブ)の民に対しては、敵対する民として即戦闘状態や戦争行為に及ぶということではなく、まずイスラームへの改宗、布教が優先されなければならないとされ、次いでウシュル*やハラージュ*等の税金を支払うことによって平和と安全を得る被保護者の立場や、協定や条約による被安全保障者となることが認められるのである。したがって以上の規定にそぐわない民との間にだけ敵対する民としての規定がなされるのである。

 このようにイスラーム法によって規定される事柄は、単に個人の宗教的内面生活ばかりではなく私的関係、イスラーム共同体内外での生活にまで詳細に及んでいるのである。


  注 *印の語句

 イジュマー(法学者の一致) クルアーン、スンナ(預言者の慣行)に次ぐ、イスラームの法源のひとつ。クルアーンとスンナにない問題の解釈についてイスラーム法学者たちの意見の一致をいう。

 ウシュル(十分の一税) イスラーム国家内の信徒あるいは改宗者の土地に対してかけられる税。しばしばサダカ、ザカートと同義に用いられる。

 ハラージュ(土地税) イスラーム国家内の非ムスリムに、土地の所有権を保証するかわりに課された税。
◆◇行為の区分と倫理
 
◆◇1.行為の五区分
 イスラーム法では上記の規定を遂行するにあたって、人間の行為を次の五つに区分している。

 @義務行為
 A奨励される行為
 B許容される行為
 C嫌われる行為
 D禁止行為

 略述すると@の義務行為とは、アラビア語でワージブあるいはファルドといって、絶対に行わなければならない行為を示している。つまり、これを怠ると罰せられる行為である。四大法学派の一つハナフィー派は、この義務行為をさらにいくつかに分けて考えている。まずアル=ワージブ=ル=ムワッカタと、アル=ワージブ=ル=ムトラクとに分ける。

 前述の「アル=ワージブ=ル=ムワッカタ」とは、時を限定された義務行為をいい、日々五度の礼拝時間や、ラマダーン月の断食などがこれにあたる。

 次の「アル=ワージブ=ル=ムトラク」とは、時を限定されない義務行為をいい、宣誓などがあげられる。

 また義務行為は個人的義務行為(アイニー)と集団的義務行為(キファーイー)とに分けられる。

 Aの奨励される行為とは、マンドゥーブといい、好ましい行為を指す。すれば報償に値するが、しなくとも罰せられることはない行為である。一例として、貸借関係における義務の行為と好ましい行為との差異を、以下のクルアーンに求めると、

 「あなたがた信仰する者よ、あなたがたが期間を定めて貸借する時は、それを記録にとどめなさい。」(クルアーン第3章282節)

 「だがあなたがたが互いに信用している時、信用された者には託されたことを(忠実)に果たさせ、かれの主アッラーを畏れさせなさい。」(第2章283節)

 となり、283節が義務の行為となり、282節は好ましい行為となる。

 Bの許容される行為とはムバーフといい、善くも悪くもない、つまり、しても報償はなく、しなくても罰せられることはない行為をいう。この行為に関するクルアーンをいくつか挙げてみる。

 「もしあなた方両人が、アッラーの定められた掟を守り得ないことを恐れるならば、かの女がその(自由を得る)ために償い金を与えても、両人とも罪にはならない。」(第2章229節)

 「あなたがたはそのような女に、直に結婚を申し込んでも、または(その想いを)自分の胸にしまっておいても罪はない。」(第2章235節)

 「食べ且つ飲め」(第2章187節)

 このような範疇に入る規定は習慣や、してもしなくても害のない一般事項、また規定の解消や解約といった場合において許容される行為であり、かつ、クルアーンやスンナに反しないものとなっている。

 Cの嫌われる行為とは、マクルーフといい、Aに対峙する行為である。つまりイスラーム法からすれば望ましくない行為であるが、特に規定される罰を受けるまでには至らない。しかしこの行為の過多は、来世において重要な意味を持つことになる。

 「信仰する者よ、いろいろと尋ねてはならない。もしあなたがたに明白に示されると、かえって悩まされることもある。」(第5章101節)

 Dの禁止行為とはハラームといい、この範疇に入る行為は罪となる。姦通や窃盗などのいわゆる刑法上の問題、また信仰儀礼に関する禁止行為として浄めのない状態での礼拝など、クルアーンやスンナにその規定が明記され、禁止されている行為である。

 このようにイスラーム法の構造は、人間の行為が五つの範疇のいずれかに区分され、アッラーから示された公明な道であるシャリーア(イスラーム法)に従うよう求められている。

 またイスラーム法において特質的な命令と禁止の明文化は、特に@とDに顕著であるが、しかしその行為の区分に関する法適用をめぐっては、学派や法学者による相違があり、複数の法学派やイスラーム法以外の法体系を重ねて採用している社会においても意見が分かれている。

 ある一つの法学派が優位に立つ社会においては、倫理的範疇の区分であるA〜Cについて、しばしば法解釈が試みられ、ファトワー*(法的意見)が発令されることがある。


 *ファトワー:ムフティー(イスラームの学識経験者であり、法解釈を下す資格を有する者)によってもたらされる法的意見のこと。
◆◇2.「善を勧め邪悪を禁じる」倫理規則の法的解釈
 クルアーンやハディースには、善を自らに課し、邪悪を避けよという倫理的規定が多く見られる。立法者たるアッラーは、人間に理解力と思考力を授けられた。それゆえ、すべての人が善と認めあるいは悪とする事項については、その倫理的規定の多くを語らずとも人間に判断できないことはない。

 法学者の多くは、善を行い邪悪を避けるということが人間としての義務であるとの立場において一致している。しかしながらその詳細については若干の相違をみせている。つまり、それが個人的義務なのか、それともその共同体の一部の成員がそれを行うことによって満たされる義務なのか、という点をめぐって意見が分れるのである。

 これに関しては、共同体あるいはその成員に対する義務とする法学者の意見が圧倒的である。それを示すクルアーンの章句を見れば、

 「あなたがたは一団となり、(人びとを)善いことに招き、公正なことを命じ、邪悪なことを禁じるようにしなさい。」(第3章104節)

 「あなたがたは人類に遣された最良の共同体である。あなたがたは正しいことを命じ、邪悪なことを禁じ、アッラーを信奉する。」(第3章110節)

 イブン・アラビーは、前の句はイスラーム共同体における一団の義務となり、後の句は共同体全体に関わる義務となると解釈している。つまり共同体全体に関する善悪であり、個人的義務としては、その中のある者がその行為を充足すればよいとしている。

 しかしこの解釈に対して、信者個人個人の義務であるとする立場からは、次の節を挙げて反論する意見がある。

 「かれはあなたがたの様々な罪を赦す。」(第14章10節、第71章4節)

 この章句から、アッラーの赦しが信者個々人に遍く及ぶように、善を行ない悪を避けるという行為についても、これと同様の解釈が行なわれるのである。

 さらにイスラームでは、無知な状態にある者、理解に欠ける者に対する責めはなく、むしろ信者とは、知識があり判断力のある理解者としてみなす。したがってすべての信者はイスラームの宗教的基盤となる事項をよく承知し、理解できるものであるとしているため特に共同体の一部の信者だけによる特別な行為とみなす必要性を認めないのである。

 以上のことから、クルアーン注釈者のラーズィーが言うように法学者たちの解釈の相違は二つの理由からなっている。一つは意味内容、すなわち知識に関わる事柄として、他は言語上の事柄を言葉通りに解釈するためである。
◆◇2.イバーダート(信仰行為)

 イバーダートとは、前回イスラーム法学の基礎(3)において略述した、宗教的儀礼に関する諸規範を含む分野である。イスラーム法の諸規範の中でも、この分野は特に重要視され、また現世と来世における平安と救済を求める信徒が、特殊な勤行としてではなく、日常性の中にその行の達成を求められている規範である。

 この宗教的儀礼に関する規範に属する分野は次の通りである。

 1.信仰の告白(シャハーダ)
 2.礼拝(サラート)
 3.喜捨(ザカート)
 4.断食(サウム)
 5.巡礼(ハッジ)

 これらの行為は、イスラームの基本である六信五行の五行に関する分野である。信仰の柱としてそれらに付随する事柄は、個人の義務としての行為にとどまらず、社会的な義務としてのそれにまで多岐にわたり、相互に関連しあっているのである。

 さて宗教的規範の中に“邪悪を避けよ”という倫理規定を見い出すならば、次のクルアーンがある。

 「悔悟して(アッラーに)返る者、仕える者、讃える者、斎戒する者、立礼する者、サジダする者、善を勧め悪を禁ずる者、そしてアッラーが定められた限界を守る者。これらの信者たちに、この吉報を伝えなさい。」(第9章112節)

 イスラーム共同体が信者相互に対し人々の利益や知識となる模範的な例えを求められているのは事実である。行為の前において善を勧め悪を避けるためには、信と信仰の面において善を勧め悪を避けることが必要となる。その基本的要素として、人々に最大限に模範的行為を示すという意味で預言者の重要性があるといえよう。そしてイスラーム共同体は、預言者に代ってその重荷を課されているのである。

 預言者は言う。

 「善を勧め悪を避けることのできる人物とは、地上におけるアッラーの代理人であり、その使徒の後継者であり、啓典の後継者である」

(以下次号につづく)

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◆◇◆カタール・アラブ首長国連邦訪問記◇◆◇
イスラーム研究センター主任研究員 柏原 良英
 平成17年3月20日から27日にかけてアラビア湾岸諸国のカタールとアラブ首長国連邦を訪問した。両国のイスラーム事情を視察するための訪問であったが、その目的の一つには今イスラーム研究センターで翻訳、出版を計画している「ハラールとハラーム」の著者であるユースフ・カラダーウィー師に直接面会して、その出版許可をうけることもあった。カラダーウィー師は現在カタールの首都ドーハにあるカタール大学の付属機関としてスンナ研究センター長という肩書きをもっているが、大学だけでなくテレビや言論界にしばしば登場し著名なアラブのイスラーム学者の一人として知られている。

 今回の旅は森センター長とザキ研究員との三人連れで行ったが、ビザの関係で最初の訪問地カタールにはエジプト人であるザキ研究員は入国許可が下りず、森センター長と二人で向った。ザキ研究員はドバイで先に調査にあたることになった。私にとっては、湾岸諸国を訪問するのはこれが初めてだったのでそれぞれのお国事情も垣間見えて面白かった。

◆◇カラダーウィー氏訪問

 カタール空港に到着後、ホテルに荷物を預け、12時に約束したカタール大学のカラダーウィー師を訪問するために出発した。

 大学は町から少し離れた砂漠の中にあり、広大なキャンパスの中に大学の建物が分散して建てられていた。研究センターの建物はそれほど大きくない平屋のプレハブ造りのお世辞にも高名な学者のオフィスには見えないもので意外な気がした。カラダーウィー師の人柄を表しているようでもあった。最初にスーダン人の秘書に面会をお願いすると直ぐに隣の部屋にいるカラダーウィー師のところへ案内された。

 師はテレビなどで見たとおりの正装をして我々を出迎えてくれた。78歳の高齢と聞いたが、話す言葉はまだまだしっかりしていた。森センター長から拓殖大学イスラーム研究センターの説明と今回訪問の目的である師の著書「ハラールとハラーム」の翻訳出版の許可についてお願いすると快く承諾していただいた。またそれに関連して本の内容で特に日本でも問題になる豚皮の靴やカバンについて、この本には「それがなめし皮であればどんな皮であって使用は許される」とあることについて確認した。師は根拠になるハディースを示しはっきりと許されることを説明してくれた。その他ニ、三の質問をしたが、ことイスラームに関しては自分の確信していることを朗朗と淀みなく話され、やはり典型的なアラブの学者だと感心させられた。

 師は多忙な様子で明日にはロンドンで開かれるムスリム・イスラーム学者世界連盟の会議に出発されるとかで長い面会はできなかったが、和やかなうちに面会を終えた。後で聞いた現地での師の評価ではパレスチナ問題における闘争の正当性を強調するアラブ世界での強い立場を評価する一方、国内の政治には余り関わらないようにしているという師の微妙な立場も聞かれた。帰りに研究センターが出版している本を頂いて帰る段になって丁度正午の礼拝の時間になったので、カラダーウィー師がイマームになって礼拝をしてからおいとました。

◆◇カタールの社会状況
 カタールには2泊したが、その間に、いくつかのイスラーム機関やカタール市民の生活を見る機会を得た。カタールの国籍を持つ市民はほとんどの人は政府関係の仕事に従事するか一般企業の要職に就くようになっていて一般の産油国と同じように優遇されているが人口が少ない分余裕が感じられた。

 知遇を得た元遊牧民の家に招かれていったが、敷地の中に客用の一軒家があり、家族は別棟の大きなマンションに住んでいた。そして、彼らのもっぱらの趣味は高価なタカを飼って毎週末は砂漠に出かけて猟をすることだそうだ。その家でも一羽300万円もするタカを3羽飼っているといって見せてくれた。

 彼らは元遊牧民とは言っても、彼らの部族意識は非常に強く、部族同士の仲たがいなどは今なお続いており、付き合う部族仲間なども選ばなければならないようだ。

 また、カタール宗教省のイスラーム布教組織を訪問したが、一番トップだけがカタール人で後の実際に仕事をするのは様々な国籍を持つ外国人達だった。これは湾岸諸国全体にいえることだが、次の訪問地ドバイに行ったときは町中が外国人で溢れていたのにはさすがに驚いた。
◆◇ドバイ・イスラーム大学訪問
 カタール訪問を終えて次の訪問地ドバイには23日の夕方到着した。空港からホテルまでの町並みはカタールに比べれば都会と田舎の違いくらい賑やかなものだった。ホテルで先に待機していたザキ研究員と合流して街に出かけて驚いたのは、町にはアラブ人がいなくて、いるのはインドやパキスタン人ばかりでインドやパキスタンの町に来たのかと思うくらいアラブに来た気がしない。ここまで外国人に占拠された町を今まで見たことがなかった。

 翌日、我々はドバイで成功し一財産を築いたジュムア・マージドという大資本家が自らのお金を投じて建てたアラブの古書復元センターを訪問した。氏はこの他に私費を投じてイスラーム大学も運営していてドバイでも知らない人がいない有名人だ。幸運にも短い時間ではあったが面会できて話を聞くことができた。

 氏は商人だけあってイスラームに対する考え方も柔軟で女性のヒジャーブにしても本来のイスラームはヒジャーブは強制されていなかったと語り、女性の社会進出にも肯定的であった。そしてイスラーム世界の停滞は行動することなしに掛け声ばかりが多すぎるからだと批判していた。金持ちが自分の財産を社会のために使う生き方はイスラーム社会では珍しいことではないが、氏のように大学まで作ってしまう人はそう多くはいない。

 その大学を訪問したのは最後の日だった。ここは午前が女生徒のクラスで午後が男子生徒と二部授業を行なっていた。我々は午前の部に訪ねたので黒い上着を着た女生徒ばかりがいる学校に入るのは驚きだった。百人ほどの女生徒を前に森センター長が拓大とイスラームの関わりを講演した。彼女達の多くは学校の先生になるそうだが、熱心に日本のイスラーム事情について耳を傾けていた。彼女たちとは直接対話をすることは控えなければならないので、質問はすべて質問用紙に書いてもらった。質問内容は、日本や拓大でのイスラーム活動などであった。大学教授の中には、我々が学んだマッカのウンムルクラー大学の卒業生や授業を持っていた教授もいて、彼らの案内で、大学関係者ともより親密になることができた。これをきっかけに新たな関係を築いていく事を約束して大学を後にした。つくづく、イスラーム世界での、思いもしない知人との出会いに驚かされる。イスラーム世界での人的交流、知的ネットワークを垣間見た気がした。

 その他、郊外にある地元のモスクのイマームを訪問し話を聞くことができた。彼はシリア人であり、サウジのマディーナ・イスラーム大学で学んだ人だった。現在、当地の宗教省のファトワー(イスラーム勧告)委員会に勤めている。彼は、当地に外国人が多いことによってアラビア語が衰退していることを嘆き、それがイスラーム理解に悪影響することを懸念していた。我々は夜の礼拝のために彼のモスクに出かけたが、その前に彼は地元の部族の人に電話をして日本人を連れて行くことを伝えていた。つまり、モスクに全く知らない外国人が来ることで警戒させないようにとの配慮からである。ここでも、やはり、部族の力を感じた。

 今回は初めての湾岸諸国訪問で現地の様子を実際に見ることができるよい機会であった。

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◆◇◆RISEAPの派遣教師プログラム◇◆◇
 マレーシのクアラルンプールに本部を置くRISEAP(東南アジア・太平洋地域イスラーム評議会)が、日本の社会科の高校の先生を招待してイスラームの生活を実際の体験を通して理解してもらい、その体験を生徒に伝えてもらうというプロジェクトを始めて、その人選を当研究センターを通して要請があった。イスラームを理解する方法としては実際の体験に勝るものはないとの認識から当研究センターではその橋渡しをすることになった。関係者を探したところ拓大一高の中川信吾先生に行ってもらえることになった。ここにその報告の一部を掲載させていただいた。

◆◇RISEAPの派遣教師プログラムに参加して◇◆
中川 信吾

 2004年12月16日

 定刻時間(現地時間18:30)をやや遅れてJARL723便はマレーシア国際空港に到着した。その時は既に日没後、外は真っ暗、何一つ景色を確認する事は出来ない。税関審査を通過、出迎えの人垣の中にSHINNGO NAKAGAWAと書いたカードを見た時は何か「ホッ」とした。RISEAPスタッフの出迎えの車に乗り、空港からRISEAP事務所隣にあるDYNASTYHOTELにチェックインしたのは夜中11時の事であった。

 朝食後、RISEAP事務所を訪問。早速、郊外にあるマレーシア・イスラーム国際大学にて総長・理事長先生との会談。今後のマレーシアの展望、イスラームの絶対性、ノンイスラーム民族への布教・理解、発展への意欲等が話された。この段階では何が起きているのか、平常心で人の話を聞いている状況ではなかった。2時過ぎRISEAP事務所に戻り、隣のDYNASTY HOTELからトランクをとり、金曜礼拝見学に向かう。Masjid Wilayah(ウィラーヤ モスク)である。初めて目の前にするモスク、その大きさ、礼拝の人の多さ、厳粛さ、その輝きを見てどのような表現が出来ようか、表現のしようがなかった。何人くらいの人が入っているのか?今日は2000人くらいとの事。アラビア語で一斉に声に出し、神アッラーに唱える響きは、体の底から響き渡るものであった。

 無頓着な生活をしている私には、今ここで何が起こっているのか、何をしたらよいのか分からないまま最後列の壁に寄りかかりアグラをかき背筋を伸ばしマレー人のお祈りの背中姿を見ていた。国家国民が国教イスラームを信仰する。国民はもとより国がこの礼拝の規律の中で1時間1時間、1日1日が穏やかなゆったりした時間の流れ、空気の流れの中で動いていく。日本人である私にはそのエネルギーのすごさ、この国の社会の現実をどのように受け止めたらよいのだろうか。生まれて初めて体験する大きなショックである。

 3日目  朝、露天の朝市にご案内をして頂いた。古き昔の日本もこの様な感じであったのだろう。生活日用雑貨から食料生鮮食品、地べたの上に板を起き、またトレーの中には魚介類が氷もなく灼熱の日差しのもと売られている。肉も売られているがその多くは鶏である。新聞も買った。新聞は自分で買いに行くのだ。毎日定期的に朝刊なり夕刊なりが配達されるのではない。この様な所にも文化・社会構造・生活習慣の異なりを実感した。

 少し遅い朝食後、もう一つの大きなプトラジャヤのモスク(プトラモスク)と空港にあるモスク(スルタン・アブドルアジーズ・シャー・モスク)を見学へ。プトラジャヤは都クアラルンプールから南方へ約1時間小高い丘の上にマハティール首相が提唱したMSC(マルチ・メディア・スーパーコリドー)の中核をなす、電子政府の構築を目的とした行政都市だ。

 プトラジャヤの見学が終わりお世話になっている日本人ムスリムの木村さんの家には午後4時頃到着した。車中イスラームのお話しも沢山お聞きし、長い一日を感じた。

 4日目 木村さん一家に別れを告げ、約1時間30分の移動が始まった。マレーシア・イスラーム国際大学への移動である。到着後キャンパス内にあるモスク見学から始まり、本日のプログラムのスタートだ。大きなモスクには8000人が礼拝できるのだ。

 1983年に153名の学生でKL郊外のペタリンジャヤに仮のキャンパスを建てスタート。現在は約100カ国から成る生徒数15000名、教職員数200名の規模を誇るマンモス大学だ。午前中の徒歩ツアーでの校舎棟見学が終わり、日本で言う学生食堂で先ずはオレンジジュース。氷が入った冷たいジュースを一気に飲み干した。何と美味しかった事か。アフリカ・インド・東南アジア各国・中国・日本、それはそれは若い目を輝かせた留学生たちの中での食事はおいしさも倍増であった。「ソンコック」「コピヤ」をかぶっている人、「トドン」「ヒジャーブ」を頭からかぶり胸まで垂らしている人。イスラームの世界にいる実感を得た。今夜はここの学生寮に泊まる。

 5日目 太陽が昇る直前のお祈りに行く音で目が覚めた。お清め場に行き礼拝場へ。

 「あー…」、まだ30分位は寝られると思いウトウトしてしまった。もたもたしている内にイマーム研修の授業が始まる時間が迫り、徒歩で丘を超えてモスク内にある教室へでかけた。結局朝食なしの一日はこうして始まった。授業の内容は全く理解の域に達するものではなかった。お昼近くにモスク責任者、Assoc. Prof. Dr. Abdelaziz Berghout教授との面会を済ませ、楽しみな昼食時間である。

 午後はクアラルンプールに戻り、セントラルマーケット、ペトロナス・ツイン・タワーなどを見学した後で今晩のホームステイ先のZahari Abd Halimさん宅へ向う。

 6日目 国立イスラーム歴史博物館を訪ねイスラームの文化にふれた。その中でもモスクは全てドーム型の建築だと認識していた私には再認識の必要が出た。模型を見るにそれぞれの国においてモスクは木造建築の日本の寺社仏閣のような建物もあれば色々である。イスラームのモスクはドーム型の四方に尖塔建築のミナレットが建てられ…と、思っていたが全く建物の形には定めがない事を聞きびっくりした。その後、最後の夜をお世話になるLt Kol Shahrir Hashimさんのお宅へ。RISEAP最高責任者のお宅である。夕方のお祈りに近くのモスクに行く。お祈りの人たちの中に入り、神妙な気持ちで手を合わせていた。細かい説明を受け、写真も撮らせて頂き、イスラーム教徒になったような錯覚を受けた一時であった。

 7日目  Shahrir Hashimさんのご配慮により、マラッカ王国・マラッカ海峡観光のプログラムを組んで頂いた。

 楽しいプログラムも終わりに近づき、再びShahrir Hashimさん宅に戻りいよいよ帰国である。嬉しいような、寂しいようなこみ上げてくる思いに駆られた。お世話になった多くの方々に感謝の気持ちを感じながら日没のハイウェーを空港へと急いだ。

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