研究所紹介  

イスラーム研究センターニューズレター Vol.3 No.3 

研究員紹介

 平成17年 12月16日発行 

■ ハディース入門(2)-ハディースの改竄 
    マラヤ大学イスラーム学アカデミー博士課程
                           大木 博文

■ ジャミーア・シンガポール・セミナーに参加して
    イスラーム研究センター・シャリーア専門委員会委員 
                           遠藤 利夫

 シャリーアにおける男女の平等と差異性
    イスラーム研究センター主任研究員 柏原 良英









研究成果
 
ニューズレター
 Vol.3No.3
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発行人 拓殖大学イスラーム研究センター
編集人 イスラーム研究センター主任研究員 柏原 良英

 
 

◆◇◆ハディース入門(2)-ハディースの改竄◇◆◇
マラヤ大学イスラーム学アカデミー博士課程 大木 博文

◆◇はじめに
 ハディースは、その信憑性を基準にした場合、サヒーフ(真正)、ハサン(良好)、ダイーフ(脆弱)の3つに分類される。このうちサヒーフとハサンはイスラーム法では受け入れることができるが、ダイーフについては条件によって受け入れられる。この3分割はハディースを伝えた伝承者の信憑性に基づく。全ての伝承者についてその人格、思想などが詳細に調査され、少しでも疑わしい点が認められる場合はさらに徹底的に糾明され、そうした者が伝達に関与したハディースは「破棄すべき」、「認められない」、「改竄されている」などと批判される。ハディースの伝承者が批判される原因は、ハディースを改竄したか、あるいは改竄したと疑われること、正しいイスラームの信仰をもっていない、預言者の言行に従った言行が認められない、身元不詳、間違いが多すぎる、注意力緩慢、偏見がある、他の信頼できる伝承者達が伝えた内容と異なる、暗記力が弱い、などである。本論では、このうちの改竄に焦点をあてる。
◆◇改竄とは
 ここで「改竄」と訳した「ワドゥウ」は、「下げる」「(下に)置く」「減らす」「落とす」「打ち落とす」「創作する」「添付する」等の意味を持つアラビア語動詞「ワダア」の動名詞で、ハディース学の専門用語としては「ハディースの伝達に関わった者が、実際には預言者の言行ではないものを預言者の言行であると意図的に偽証すること」、つまり本来は預言者ムハンマドに遡るべきハディースを、悪用して意図的な改変や創作、根拠のない言葉や意味の付加等によってその権威を低めることを意味する。改竄されたものをハディース学の研究対象として認めるか否かについて、学者たちの見解は大きく異なる。イブヌッ・サッラーフは「ダイーフとみなされるものの中でも最も劣悪なもの」と解説して研究の対象としているが、イブン・ハジャルはそれを認めていない。改竄されたものをハディース学の研究対象と認める根拠は、以下の4点に集約される。

 1.ハディース改竄対策の一環として発達したハディース学原論は、特定の伝承者に対する嫌疑や疑惑に基づくものである。そのため改竄されたとみなされるものであっても、即座にそれをハディースではないと断定することはできない。

 2.専門用語としてのハディースという語の意味は広範で、預言者についてのあらゆる情報を網羅する。そのため預言者についてのなんらかの情報を含むものは全てハディース学の対象と認めなければならない。

 3.改竄されたものもハディース学の対象とみなし、その上でそれを改竄した人物について検討するのが筋である。

 4.改竄されたと疑われるものであってもハディースとみなすことによって、その伝承経路の精査が可能となる。精査の結果、受け入れられないというのであれば破棄すればよい。最初からハディースではないとみなしてしまうと、ハディース学の基本である伝承経路の研究の可能性を閉ざしてしまうことになる。

 また改竄されたハディースには、次の3種類がある。

 1.改竄者自らの手によって改変を加えたうえで、ハディースとして伝えたもの。

 2.ある者たちが語り伝えていた内容を、改竄者がハディースとして伝えたもの。

 3.意図的に改竄したのではなく、疑義を持ったまま伝えたもの。これは擬似改竄と呼ばれる。
◆◇ハディース改竄の方法
 預言者ムハンマドについて偽りの情報を伝達することは大罪である。つまりハディース改竄の行為は不信仰に等しいとみなされているのである。それにも拘らず繰り返された改竄がどのような方法で行なわれていたのかを、イブン・アディーの大著『信憑性の低い伝承者たちについての完全の書』に基づいて、以下にまとめておく。

 全く預言者とは関係のない内容のものをハディースとして新規に創作することもあったが、改竄の最も一般的な方法は、預言者ムハンマドの言行以外の何かを周知のハディース本文に付加するものである。一例としてイブヌル・ジャウズィーは、ムハンマド・イブン・サイードが伝える「アッラーの御使いは言われた。『私が預言者の封印である。私の後に預言者はいない。アッラーがお望みにならない限り。』」というハディースを紹介している。言うまでもなく下線部が加えられたものである。またハディース本文には手を加えず、その本文が語られた背景となる挿話を創作する改竄方法もある。この種のハディースの改竄を行った者たちは「預言者の意図に反して改竄したのではなく、預言者のために改竄したのである」と主張した。ムスリムにとってもあまりに厳しいと思われるような警告に関するハディースは、悉く改竄の対象となった。さらに改竄は、伝承経路についても行なわれていた。伝承経路の改竄としては、ある伝承者を別の伝承者と取り替える方法や、ある伝承者がある師から伝え聞いたというハディースを自分がその師から伝え聞いたと偽って伝えたもの等がある。
◆◇改竄されたハディースの流布
 改竄されたハディースは、様々な方法で人々の間に広まっていった。真偽判定を下すに足る知識がないにもかかわらず他の者が収集していないようなハディースをより多く集めて独自のハディース集を編纂しようと望んでいた者たちは、安易に改竄されたハディースを収集する傾向にあった。若い時にはハディースの取捨に厳格であった者でも、年が長じるに従って伝聞したハディースを不注意に受け入れるようになっていったという例もある。また自らが手を加えて改竄したハディースを筆録しておいて、あたかも信頼できる伝承者から入手したハディースの記録であるかのように宣伝して、それを人々の間に配布することもあった。こうした者たちは、学問の中心地として栄え、多くの学者や学徒が集る諸都市を渡り歩いて、改竄されたハディースの普及に努めたのである。
◆◇改竄の起こり
 現代エジプトの著名な歴史学者であるアハマド・アミーンは『イスラームの黎明』の中で、「私に反して意図的に話を捏造する者は業火の中に永住する」という預言者の言葉を、ハディースを改竄した者に対する警告として発した言葉であり、それを根拠として彼の在世中にすでにハディース改竄の動きがあった、と指摘している。しかしながらこのハディースは、預言者がサハーバ達にイスラームの布教を命じた際に、将来自分に対する中傷を目的にハディースを改竄する者が現れるであろうことを確信して、ハディースを受け入れる際には注意深く検討するよう予め警告したものである。預言者在世中にはハディースの正否が明確であったため、改竄の入り込む余地はなかったのである。サハーバ達が預言者の教えを正確に記憶し、ハディースを守る努力をしていたことにも疑いの余地はない。ハディースの改竄は第4代正統カリフ・アリーの治世に入ってから、ラクダの戦いやスィッフィーンの戦い、ナフラワーンの戦いなど、ハワーリジュ派やシーア派といった党派、宗派を生み出す原因となった争乱の結果として生まれたものである。アリーの時代にはすでにクルアーンの公式編纂は完了していた。彼ら造反組は自分たちの主張を正当化するために、いまだ公式編纂が行われていなかったハディースに目を付けて改竄していったのである。イラク、特にクーファが改竄の主舞台となった。クーファはアリーが首都と定めた後にシリアの民との争いの中心地となり、ウマイヤ朝政権がシリアのダマスクスを首都にしてからは、反体制派運動の中心地となった場所である。とはいえ、イラクの民から信頼できる知識を得る道が永久に閉ざされてしまった、と断定できるわけではない。当時のイラクがイスラーム学の興隆に果たした役割は絶大であった。イブン・サアドの『大列伝』によれば、クーファにはアブドッラー・イブン・マスウードをはじめ300名を越えるサハーバ達がいた。一部の住民がハディース改竄に走ったからといって、その住民全ての信憑性を疑うのは短絡的すぎる。アリー・イブン・アルマディーニーは「バスラの民をカダル派だからといって、またクーファの民をシーア派だからといって無視したら、学問は消滅してしまうだろう」と警告しているし、多くの学者達は、信仰と人格を区別して、信頼できる者であれば、所属する宗派に関係なく知識を得るよう努めていた。
◆◇ハワーリジュ派によるハディース改竄の有無
 正統第4代カリフのアリーが反対勢力のシリア総督ムアーウィヤと対峙したスィッフィーンの戦い(西暦657年)においてムアーウィヤ側が提示した停戦協定を受け入れたアリーとその追従者に対して、『裁定は、ただアッラーに属する。』(12:67)というクルアーンの一節に固執してムアーウィヤへの徹底抗戦を主張した一団がアリーの陣営から離脱した。この一団がイスラーム最初の分派であるハワーリジュ派を形成した。ハワーリジュ派の信仰箇条に「大罪を犯した者は不信仰者である」という条項があり、このため同派による組織的な改竄は実在しない。イブン・ラヒーアは「ハディースは宗教そのものである。あなた方は、誰からあなた方の宗教を学び取るのかを注意深く考察しなさい。我々はあることを望む場合には、ハディースに依拠します」というハワーリジュ派の者が語った話を伝えている。またアルハティーブ・アルバグダーディーは「異端の中でハワーリジュ派ほど正しいハディースを伝えている派はない」と言っている。ハワーリジュ派の信者によるハディース改竄は、特にスィッフィーンの戦いに参加し停戦協定に合意したごく一部のサハーバを不信仰者とみなしたことから、該当するサハーバが伝えるハディースのみを対象に行われるようになった。しかし同派によるハディース改竄は、あっても取るに足らぬ微々たるものであったか、個人的なもので、ハワーリジュ派に改竄のレッテルを貼ることはできない。
◆◇ムァタズィラ派によるハディース改竄の有無
 ムァタズィラ派の起源は、アッバース朝初期の学問の中心地であったイラクのバグダードとバスラにおけるアッラーの定められた天命と人間の自由意志をめぐる神学論争の中から、人々の求めに応ずる形で自然に発生してきた合理主義に遡ることができる。同派は理性を駆使して徹底的な合理主義を貫いた。同派は22の分派に分かれてそれぞれの主張を展開した。主たる主張は以下の如くである。

 1.預言者ムハンマドの奇跡をすべて否定する。

 2.学者たちによる見解の一致(イジュマー)と類推(キヤース)を完全否定する。

 3.必須の知識と一致しないハディースを論拠としない。

 ムァタズィラ派全体としてはハディースを受け入れる傾向にあった。
◆◇シーア派によるハディース改竄
 シーア派もハディースの権威を認めるという点ではスンニー派と同じ立場を採るが、シーア派とスンニー派の間ではハディースの権威付けの方法が根本から異なっていた。シーア派は預言者ムハンマド没後のすべてのサハーバを不信仰者、または背教者とみなし、彼らが伝えるハディースは改竄されたものとして悉く廃棄した。シーア派が依拠するハディースは、預言者ムハンマド、またはその従弟でシーア派初代イマームのアリー・イブン・アビーターリブからその一族を通して伝えられたもののみである。従ってスンニー派から見れば、シーア派は、すべてのハディースを改竄したことになる。シーア派によるハディース改竄は、スンニー派に対する自分たちの主張の正当化と、彼らが敵視するサハーバを徹底的に賤しめることを目的としていた。イブン・アディーは前者の例として「天使たちは私とアリー・イブン・アビーターリブを7年間にわたって祝福した。私とアリー・イブン・アビーターリブによる以外に、『アッラー以外に神はなし』との証言が地上から天にまで到達することはない」というハディースを、また後者の例として「ムアーウィヤを説教壇上に見たら、殺しなさい」というハディースを挙げている。
◆◇サンザカ主義者によるハディース改竄
 預言者ムハンマドの没後イスラーム世界の急速な拡大に伴って多くの者がイスラームに改宗したが、その中には見せ掛けだけの改宗者もいた。イスラーム教義の根幹がタウヒード(一化)であることから、彼らは総じてザンダカ(二元論)主義者、あるいはイルハーク(異端)論者と呼ばれる。彼らの多くはシーア派と結託していた。彼らはイスラーム信仰を装い、敵意をひた隠しにして諸都市に入り込み、有識者を装って学者達に改竄したハディースを示しては、彼らの理性を混乱させることを常としていた。彼らはシーア派の導きに従って、信仰箇条、法解釈、そして預言者の性格に関するハディースを主に改竄した。一説によれば14,000のハディースが彼らによって改竄されたという。また彼らは、全く根拠のないハディースを次々と創作して人々に投げかけてもいた。例としてイブン・ヒッバーンは「アッラーが怒れば、その玉座が押し潰されるほどに彼の体は膨れ上がる」というハディースを挙げている。彼らはハディース改竄によって、学者達の理性を混乱させ、明瞭なイスラームの信条を抹殺し、かつての自分たちの信条を復活・再興させようと望んでいたのである。

◆◇ハディース講釈師によるハディース改竄

 イスラーム諸学を修得したハディース講釈師は、モスクで大衆を相手に説教をする際に、当初は否認されるべきハディースや捏造されたハディースなどをテーマにしていた。ところが大衆がそのような内容には飽きたらずに理性を超越した、あるいは涙を誘うようなハディースの講釈を求めるようになると、次第に根拠のないでたらめな講釈をし、ハディースの本文だけではなく、伝承経路をも勝手に作り替えるようになっていった。一般大衆のハディースに対する理解の欠如と講釈への過大な期待が、講釈師をハディース改竄へと走らせたのである。彼らがハディースの改竄に手を染めるようになったのは、正統第2代カリフ・ウマルの暗殺後のことである。既に正攻法的な理論のみでは癒すことができないほどに、理不尽なイスラーム社会の動乱は人々の心理と理性を蝕み始めていたのである。
◆◇敬虔な信者による無知ゆえのハディース改竄
 敬虔な信者の中にも、無知ゆえに、人々が善行を積んで悪行を避けるよう望むあまりにハディースを改竄した者がいる。彼らは、信者達の心を安らげようと思うあまりに、懲罰に関する内容やあまりにも多くの事項を命令するような内容のハディースを改竄して、多くの人々に伝えるようになった。また神学派の一派であるカッラーミー派には「私に反して意図的に話を捏造する者」というハディースについて、我々は預言者のためにハディースを捏造するのであって、彼に反して改竄するのではないと主張して、人々が率先してアッラーの命令に従い、アッラーに反抗する行為を避けるようにする意図を持って行われるハディースの改竄を認めた。イブン・アディーは「善行や禁欲を積んでいるといわれる者以上に話を捏造する者は見たことがない」というアブーアースィム・アルアビールの言葉を伝えている。
◆◇郷土主義、部族主義、学祖崇拝によるハディース改竄
 イスラームの拡大が進み、諸都市にアラブが進出していって他民族との共存が広まり、異部族間での婚姻が普遍化してくると、次第に部族主義は薄れ、代わって郷土主義が台頭してくるようになった。そしてある特定の都市を讃えるハディースや、他の都市を非難するハディースを捏造するようになった。シリアのアハマド・イブン・キナーナは「信仰が地上から消滅したら、ヨルダンにそれを見いだす」というハディースを捏造している。部族主義・民族主義、あるいは特定の言語に対する偏重によるハディース改竄の例として、イスマーイール・イブン・ズィヤーダ・アルカッターンが伝える「至高なるアッラーが最も嫌われる言葉はペルシア語である。悪魔の言葉はフーゼスターンの言葉。業火の民の言葉はブハーラーの言葉。そして楽園の民の言葉はアラビア語である」等がある。また学祖崇拝による改竄の例としては「私の後に、アブー・ハニーファ(イスラーム法学の一派ハナフィー学派の開祖)という名で知られるアンヌァマーン・イブン・サービトが、アッラーの教えと私のスンナをその両手で再興するためにやってくる」というものがある。

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◆◇◆ジャミーア・シンガポール・セミナーに参加して◇◆◇
イスラーム研究センターシャリーア専門委員会委員 遠藤 利夫
 「イスラームから見た社会発展と文化の多様性」をテーマに2005年9月23日から25日の3日間、シンガポールにて開催されたセミナーに武藤シャリーア専門委員会委員長と共に参加した。

 本セミナーは同国最大のイスラーム組織ジャミーア・シンガポール(シンガポール・ムスリム宣教協会)が主催しモロッコに本部を置くイスラーム教育・科学・文化協会(ISESCO)及びクエートの国際イスラーム慈善協会(IICO)が支援して2002年に始められ、今回が第3回目となる。アジア・大洋州地域から15ヶ国24団体、35名が参加した。参加国・地域は次の通りである。日本、中国、香港、台湾、韓国、フィリッピン、インドネシア、チモール、パプア・ニューギニア、オーストラリア、ニュージーランド、タイ、ミャンマー、スリランカ、パキスタン、シンガポール。

 セミナーは朝10時から午後5時半迄、7セッションが行われ。各セミナーのテーマは次の通りであった。

 1.模範的ウンマ(イスラーム共同体)の文化
            (Dr.Ibrahim Hasabullah、IICO代表)

 2.多文化社会におけるムスリムとクリスチャンの対話
            (Dr.Syed Farid Alatas、シンガポール国立大助教授)

 3.教育発展:

  @シンガポール・マレームスリム社会の例
            (Dr.Isa Hasan、MENDAKI理事)

  Aグローバル化における世界主義と現代イスラーム
            (Mr.Hamidul Haq、シンガポール司法会議所代表)

4.平和と調和促進のための宗教共存と対話
            (Dr.Sulaiman Dufford)

5.多文化社会におけるムスリムNGOの役割
            (Mr.H M. Sleem、ジャミーア・シンガポール)

6.女性問題についての文化的相違
            (Dr.Zeenath Kausar、マレーシア国際イスラーム大助教授)

7.文化的多様性と発展
            (Dr.Abdelillah Benarafa、ISESCO代表)

 今回のセミナーでの発表内容から関心の高かった2件の発表の要約を紹介する。

◆◇1.「多文化社会におけるムスリムとクリスチャンの対話(平和と発展への道)」

 対話とは二人が会話を交えることであるが、ここでは対話の最終目標が互いの価値観を正しく認識理解し関心を持ち合うことと考え、教育科学面に焦点を当て論ずる。

 教育はイスラームの最初期から主要な特徴であった。ムスリムは神の言葉であるクルアーンを中心にアラビア語を読誦し学ぶことが義務であった。ムスリムは全ての知識は神からのもので様々なチャンネルを通し人間に届くと信じた。イスラームにおいて知識は信仰と密接に関係しているので、その世界観はクルアーンと預言者ムハンマドの言行及び信仰に基づく科学的観察から取り出されている。そのため知識とは信仰の一部であると見る。知識を追い求めることがムスリム社会の義務となり、これが多くの科学・学問(ウルーム)の発展となり数世紀にわたりヨーロッパに光を当てたのである。

 近代の大学制度確立に貢献したのはムスリムであった。学位授与の考えはイスラームから来たものである。西暦931年、アッバース朝カリフが全ての医者に試験をし、合格した者に許可証明証(イジャーザ)を与えた。これによりバグダッドからニセ医者が除かれた。イジャーザのもとの意味は、学者に教えを請うた学生たちがその教えを第三者に伝えることを許可することである。イスラームの学者はマドラサ(学校)、ジャーミア(大学)で教え、学位は学者個人から学生に与えられた。学位の授与がヨーロッパで始まったのは12世紀で、大学の開設は13世紀であった。世界最古の大学は10世紀エジプトのアズハル大学(ジャーミア・アズハル)であるが、ヨーロッパでの大学呼称名であるユニバースティはアラビア語のジャーミアの概念から来ている。ジャーミアとは包括的、全般的を意味する。

 文明の研究については次の3点を主要テーマとすることが学生の理解を助ける。

 1.文明間の遭遇:イスラームの研究は文明間遭遇の1モデルケースとなる。イスラームと西欧との戦いの歴史は必ずしも否定的な面ばかりではなかったことを人々に紹介することは重要である。例えば十字軍はムスリムとヨーロッパ人に多くの科学と学問をもたらしたことなどがあげられる。

 2.近代文明の源:近代文明は通常西欧の用語で定義される。しかし近代文明の諸相にはイスラームやインド、中国など他の文明から来たものも含まれている。大学がその一例であり、教授、学者、学位の概念がイスラームから広まった。

 3.多角的な観点:イスラームの研究は一つの事例から多様な見方を経験する機会を与える。例えば十字軍の行動についてはヨーロッパ人の観点からのみ報告されているが、十字軍と戦い生き残ったムスリムの観点がなければ不完全な事実認識のみとなる。また他の例としてムスリム女性のヒジャーブ(スカーフ)を考えると、これは女性抑圧の象徴として報道されるが、解放の象徴と捉えることが出来る。ムスリムの女性たちはファッション感覚などに対する批評眼から逃れるために着用している点である。

◆◇2.「女性問題についての文化的相違
        −フェミニスト、イスラーム、ムスリム民族文化伝統主義の観点から」
 全ての人類は男女、人種、国家、民族、言語、肌の色、文化、信念、思想、宗教などのカテゴリーに分けられるが、これらの相違は人生のスパイスであり美しさと色取りを添えるものである。相違についてのイスラームの観点はクルアーンの多くの節から理解される。「人びとよ、われは一人の男と一人の女からあなた方を創り、種族と部族に分けた。これはあなた方を互いに知り合うようにさせるためである」(49章13節)

 イスラームは個人や国家、民族の主体性を尊重し、他者を外面的相違から評価したり自己の思想信条、制度、文化を押し付けることはしない。

 女性問題については国際会議において改善のための行動計画や女性に権限を与えることが採択され、全ての宗教、文化、国家が女性の権利運動として共同参画の体裁を取っているが、事実はそうではない。フェミニストたちの多くは、一方的な見方や自分たちの考える女性への権限付与の形を、住んでいる世界の文化的相違を考慮せずに押し付けようとしている。他の問題はムスリムの社会にあり、自己の民族文化伝統を固守する者たちである。多くの女性問題はイスラーム思想とムスリムの民族文化伝統思想からきている日常の慣習との混同から生じているものである。

 フェミニズムと民族伝統主義それぞれの立場を要約すると次のようになろう。

 @フェミニズムは18世紀の西欧啓蒙運動として始まり、全ての問題は科学的方法により解決できると人間の力を過信し、神や宗教の力は不要としている。宗教は極力避けるか個人の内面的事柄に収めるだけで公の場に持ち込まない。宗教は女性の自己成長や能力を高める力はないか、女性の活躍を制限する障害と見なす。女性の社会的地位の向上や経済的・社会的成功のみを考え、精神的な面の向上や価値は配慮しない。家族の価値は低く出産、育児は女性にとり割りの悪いものとしている。多くのフェミニストは男女の生物学的差異を無視し、平等と主体性の意味を履き違えている。フェミニズムは女性の崇高な使命や目的を提示していない。

 A民族伝統主義者はイスラームに関係のない民族古来の慣習に影響されていることを一部ムスリム学者を含め認識していないか、認識しようとしない。彼らは社会の運営は男性だけで事足りるとし、女性の社会的役割や進出を認めない。

 イスラームは人間が神から与えられた能力を他者の理解と自然や環境の中で発揮することを奨励している。精神的価値と物質的価値双方を認めバランスをとり男女平等と主体性の違いを明確にし、女性の社会への参画を否定しない。家事も外での仕事も共にアッラーに仕える宗教的行為(イバーダ)と見なしている。

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◆◇◆シャリーアにおける男女の平等と差異性◇◆◇
イスラーム研究センター主任研究員 柏原 良英
 イスラーム世界における女性を考えた時、自由に出歩くことも出来ず、外出する時には黒い外套を被らなければならないなど一般的に悪いイメージを持たれがちだ。しかしそれはテレビの映像などから受けるイメージだけで、本当にイスラームは女性をどのように位置づけているのかを知る機会は少ない。ここではシャリーア(イスラーム法)において女性だけではなく男性を含めたイスラーム社会における位置づけがどのように考えられ規定されているのかを見ていきたい。

◆◇1.同じ一つのナフス(魂)から創られた者としての男女

 イスラームでは男女は同じ一つのものから創られた存在としてそこに何の区別もつけないことが基本としてある。

 「かれはひとつのナフス(アーダムの魂)からあなたがたを創り、またその魂から配偶者を創り、両人から、無数の男と女を増やし広められた方であられる」(クルアーン4章1節)

 アッラーの前においてイスラーム教徒は同等であり、そこに違いがあるとすればそれぞれの信者の信仰の強弱だけである。

 「人々よ、われは一人の男と一人の女からあなた方を創り、種族と部族に分けた。これはあなた方を互いに知り合うようにさせるためである。アッラーの御許で最も貴い者は、あなた方の中最も主を畏れる者である」(49章13節)
◆◇2.シャリーアが男女に求めるもの
 イスラーム教徒として果たさなければならない信仰行為は男女の区別なく求められる。またその結果約束される報酬も男女の間で区別されるものではない。

 「本当にムスリムの男と女、信仰する男と女、献身的な男と女、正直な男と女、堅忍な男と女、謙虚な男と女、施しをする男と女、斎戒(断食)をする男と女、貞節な男と女、アッラーを多く唱念する男と女、これらの者のために、アッラーは罪を赦し、偉大な報奨を準備なされる」(33章35節)
◆◇3.シャリーアにおける男女の合法的関係
 アッラーはあらゆるものを男性と女性の二つの性として創造した。

 「アッラーはよろずのものを一対に創造された。」(43章12節)

 「かれは人間を男と女の両性になされたのではなかったか。」(75章39節)

 イスラームにおける男女の関係においてまず求められるのは、それぞれが性的にはあからさまにそれを表に現さないことであり、互いにつつしみを持って、相手を直視しないようにすることである。特に女性には、その美しさを目立たせないことが求められる。

 「男の信者たちに言ってやるがいい。「(自分の係累以外の婦人に対しては)かれらの視線を低くし、貞潔を守れ。」それはかれらのために一段と清廉である。アッラーはかれらの行うことを熟知なされる。信者の女たちに言ってやるがいい。かの女らの視線を低くし、貞淑を守れ。外に表われるものの外は、かの女らの美(や飾り)を目立たせてはならない。それからヴェイルをその胸の上に垂れなさい。」(24章30,31節)

 イスラームにおける合法的な男女関係は結婚による夫婦関係に求められる。それは社会の基礎としてそこから作られる健全な家族が健全な社会を作っていく。そしてシャリーアでは夫婦の基本は愛情と慈悲の上に成り立つとし、お互いが衣のように助け合い補完し合う関係が求められる。

 「またかれがあなた方自身から、あなた方のために配偶者を創られたのは、かれの印の一つである。あなた方は彼女らによって安らぎを得るよう(取り計らわれ)、あなた方の間に愛と情けの念を植え付けられる」(30章21節)

 「彼女らはあなた方の衣であり、あなた方はまた彼女らの衣である」(2章187節)

 預言者ムハンマドは語った。「あなた達の中で最も善い者とは、自分の家族に対して最も善い者である。私は私の家族に対してあなた達の中で最も善い者である」
◆◇4.シャリーアにおける男女の平等
 クルアーンの記述で男性形で書かれてあっても、それは特別なケースでない限り男女共通に求められていることであり、述べられていることである。

@知識の探究

 イスラーム教徒は男女を問わず、まず正しい知識を持つことが求められる。それは正しくイスラームを理解するには知識が必要だからであり、そのために預言者ムハンマドは男性だけでなく女性にもそれを求めていた。また預言者の妻達は数多くのハディースを伝承したことで知られており、分からないことがあれば彼女達に尋ねるのが慣わしであった。

 「アッラーのしもべの中で知識のある者だけがかれを畏れる。」(35章28節)

 「言ってやるがいい。『知っている者と、知らない者と同じであろうか。』(しかし)訓戒を受け入れるのは、思慮ある者だけである。」(39章9節)

A人権や市民権における平等

 シャリーアでは男性と同じように女性が所有する遺産や贈答や自らの稼ぎなどによる財産は保護され、未成年であれば保護者がそれを守る義務があるし、成人していれば自分の意思で自由にそれを使うことを認めている。そのことで後見人も夫も彼女の許可なしにはそれを移動させることは出来ない。また彼女はそれらの財産を誰かに委託することが出来るし、望むときにそれを解消することも出来る。

 また結婚においてもそこに強制は認められない。女性の同意を得ない結婚契約はそれを解消する権利を女性に与えている。

 人権についても男女の区別はない。それは守られなければならないし、それを犯すものは罰せられる。

 「また理由もなく、男女の信者を不当に悩ます者は、必ずそしられて明白な罪を負う」(33章58節)
◆◇5.シャリーアにおける男女の差異性
 イスラームでは男女の差異も認めている。それは基本的にはアッラーの英知によって決められていることである。

 「アッラーがあなたがたのある者に、他よりも多く与えたものを羨んではならない。男たちはその稼ぎに応じて分け前があり、女たちにもその稼ぎに応じて分け前がある。」(4章32節)

 この啓示が降りた時の状況は、一人の女性が預言者ムハンマドに男達は戦いに行って多くの戦利品を獲ることが出来るのに女性は戦いに行くことはない。遺産についても女性は男の半分しかもらえないと言って訴えた時に下されたものである。この男女の違いばかりでなくそれぞれの人に与えられる神からの恩恵の違いを決定するのはアッラーであって、アッラーの英知によってそれぞれの相異が決められているのである。

 @義務の礼拝やラマダーン月の断食で、生理中の女性と産褥の女性はその義務が免除される。これは女性の身体的な困難さを考慮に入れての事と考えられる。

 A経済的な面では男性に女性を保護する義務を命じ、例えば結婚生活における生活費は男性の働きによるものとされている。結婚生活において夫婦は互いに同じ権利を持つ。しかし経済面における男性の責任を重くする分、家庭内での主導権を男性に委ねている。

 「男は女の擁護者(家長)である。それはアッラーが、一方を他よりも強くなされ、かれらが自分の財産から(扶養するため)、経費を出すためである。」(4章34節)

 「女は公平な状態の下に、かれらに対して対等の権利をもつ。だが男は女よりも一段上位である。」(2章228節)

 イスラームは女性に対してことさら差別的な態度を認めているわけではない。そこにあるのはそれぞれの役割を認めた上で協力しながら信仰の上に立った社会を目指す意図が感じられる。

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