◆◇はじめに |
ハディースは、その信憑性を基準にした場合、サヒーフ(真正)、ハサン(良好)、ダイーフ(脆弱)の3つに分類される。このうちサヒーフとハサンはイスラーム法では受け入れることができるが、ダイーフについては条件によって受け入れられる。この3分割はハディースを伝えた伝承者の信憑性に基づく。全ての伝承者についてその人格、思想などが詳細に調査され、少しでも疑わしい点が認められる場合はさらに徹底的に糾明され、そうした者が伝達に関与したハディースは「破棄すべき」、「認められない」、「改竄されている」などと批判される。ハディースの伝承者が批判される原因は、ハディースを改竄したか、あるいは改竄したと疑われること、正しいイスラームの信仰をもっていない、預言者の言行に従った言行が認められない、身元不詳、間違いが多すぎる、注意力緩慢、偏見がある、他の信頼できる伝承者達が伝えた内容と異なる、暗記力が弱い、などである。本論では、このうちの改竄に焦点をあてる。
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◆◇改竄とは |
ここで「改竄」と訳した「ワドゥウ」は、「下げる」「(下に)置く」「減らす」「落とす」「打ち落とす」「創作する」「添付する」等の意味を持つアラビア語動詞「ワダア」の動名詞で、ハディース学の専門用語としては「ハディースの伝達に関わった者が、実際には預言者の言行ではないものを預言者の言行であると意図的に偽証すること」、つまり本来は預言者ムハンマドに遡るべきハディースを、悪用して意図的な改変や創作、根拠のない言葉や意味の付加等によってその権威を低めることを意味する。改竄されたものをハディース学の研究対象として認めるか否かについて、学者たちの見解は大きく異なる。イブヌッ・サッラーフは「ダイーフとみなされるものの中でも最も劣悪なもの」と解説して研究の対象としているが、イブン・ハジャルはそれを認めていない。改竄されたものをハディース学の研究対象と認める根拠は、以下の4点に集約される。
1.ハディース改竄対策の一環として発達したハディース学原論は、特定の伝承者に対する嫌疑や疑惑に基づくものである。そのため改竄されたとみなされるものであっても、即座にそれをハディースではないと断定することはできない。
2.専門用語としてのハディースという語の意味は広範で、預言者についてのあらゆる情報を網羅する。そのため預言者についてのなんらかの情報を含むものは全てハディース学の対象と認めなければならない。
3.改竄されたものもハディース学の対象とみなし、その上でそれを改竄した人物について検討するのが筋である。
4.改竄されたと疑われるものであってもハディースとみなすことによって、その伝承経路の精査が可能となる。精査の結果、受け入れられないというのであれば破棄すればよい。最初からハディースではないとみなしてしまうと、ハディース学の基本である伝承経路の研究の可能性を閉ざしてしまうことになる。
また改竄されたハディースには、次の3種類がある。
1.改竄者自らの手によって改変を加えたうえで、ハディースとして伝えたもの。
2.ある者たちが語り伝えていた内容を、改竄者がハディースとして伝えたもの。
3.意図的に改竄したのではなく、疑義を持ったまま伝えたもの。これは擬似改竄と呼ばれる。
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◆◇ハディース改竄の方法 |
預言者ムハンマドについて偽りの情報を伝達することは大罪である。つまりハディース改竄の行為は不信仰に等しいとみなされているのである。それにも拘らず繰り返された改竄がどのような方法で行なわれていたのかを、イブン・アディーの大著『信憑性の低い伝承者たちについての完全の書』に基づいて、以下にまとめておく。
全く預言者とは関係のない内容のものをハディースとして新規に創作することもあったが、改竄の最も一般的な方法は、預言者ムハンマドの言行以外の何かを周知のハディース本文に付加するものである。一例としてイブヌル・ジャウズィーは、ムハンマド・イブン・サイードが伝える「アッラーの御使いは言われた。『私が預言者の封印である。私の後に預言者はいない。アッラーがお望みにならない限り。』」というハディースを紹介している。言うまでもなく下線部が加えられたものである。またハディース本文には手を加えず、その本文が語られた背景となる挿話を創作する改竄方法もある。この種のハディースの改竄を行った者たちは「預言者の意図に反して改竄したのではなく、預言者のために改竄したのである」と主張した。ムスリムにとってもあまりに厳しいと思われるような警告に関するハディースは、悉く改竄の対象となった。さらに改竄は、伝承経路についても行なわれていた。伝承経路の改竄としては、ある伝承者を別の伝承者と取り替える方法や、ある伝承者がある師から伝え聞いたというハディースを自分がその師から伝え聞いたと偽って伝えたもの等がある。 |
◆◇改竄されたハディースの流布 |
改竄されたハディースは、様々な方法で人々の間に広まっていった。真偽判定を下すに足る知識がないにもかかわらず他の者が収集していないようなハディースをより多く集めて独自のハディース集を編纂しようと望んでいた者たちは、安易に改竄されたハディースを収集する傾向にあった。若い時にはハディースの取捨に厳格であった者でも、年が長じるに従って伝聞したハディースを不注意に受け入れるようになっていったという例もある。また自らが手を加えて改竄したハディースを筆録しておいて、あたかも信頼できる伝承者から入手したハディースの記録であるかのように宣伝して、それを人々の間に配布することもあった。こうした者たちは、学問の中心地として栄え、多くの学者や学徒が集る諸都市を渡り歩いて、改竄されたハディースの普及に努めたのである。 |
◆◇改竄の起こり |
現代エジプトの著名な歴史学者であるアハマド・アミーンは『イスラームの黎明』の中で、「私に反して意図的に話を捏造する者は業火の中に永住する」という預言者の言葉を、ハディースを改竄した者に対する警告として発した言葉であり、それを根拠として彼の在世中にすでにハディース改竄の動きがあった、と指摘している。しかしながらこのハディースは、預言者がサハーバ達にイスラームの布教を命じた際に、将来自分に対する中傷を目的にハディースを改竄する者が現れるであろうことを確信して、ハディースを受け入れる際には注意深く検討するよう予め警告したものである。預言者在世中にはハディースの正否が明確であったため、改竄の入り込む余地はなかったのである。サハーバ達が預言者の教えを正確に記憶し、ハディースを守る努力をしていたことにも疑いの余地はない。ハディースの改竄は第4代正統カリフ・アリーの治世に入ってから、ラクダの戦いやスィッフィーンの戦い、ナフラワーンの戦いなど、ハワーリジュ派やシーア派といった党派、宗派を生み出す原因となった争乱の結果として生まれたものである。アリーの時代にはすでにクルアーンの公式編纂は完了していた。彼ら造反組は自分たちの主張を正当化するために、いまだ公式編纂が行われていなかったハディースに目を付けて改竄していったのである。イラク、特にクーファが改竄の主舞台となった。クーファはアリーが首都と定めた後にシリアの民との争いの中心地となり、ウマイヤ朝政権がシリアのダマスクスを首都にしてからは、反体制派運動の中心地となった場所である。とはいえ、イラクの民から信頼できる知識を得る道が永久に閉ざされてしまった、と断定できるわけではない。当時のイラクがイスラーム学の興隆に果たした役割は絶大であった。イブン・サアドの『大列伝』によれば、クーファにはアブドッラー・イブン・マスウードをはじめ300名を越えるサハーバ達がいた。一部の住民がハディース改竄に走ったからといって、その住民全ての信憑性を疑うのは短絡的すぎる。アリー・イブン・アルマディーニーは「バスラの民をカダル派だからといって、またクーファの民をシーア派だからといって無視したら、学問は消滅してしまうだろう」と警告しているし、多くの学者達は、信仰と人格を区別して、信頼できる者であれば、所属する宗派に関係なく知識を得るよう努めていた。 |
◆◇ハワーリジュ派によるハディース改竄の有無 |
正統第4代カリフのアリーが反対勢力のシリア総督ムアーウィヤと対峙したスィッフィーンの戦い(西暦657年)においてムアーウィヤ側が提示した停戦協定を受け入れたアリーとその追従者に対して、『裁定は、ただアッラーに属する。』(12:67)というクルアーンの一節に固執してムアーウィヤへの徹底抗戦を主張した一団がアリーの陣営から離脱した。この一団がイスラーム最初の分派であるハワーリジュ派を形成した。ハワーリジュ派の信仰箇条に「大罪を犯した者は不信仰者である」という条項があり、このため同派による組織的な改竄は実在しない。イブン・ラヒーアは「ハディースは宗教そのものである。あなた方は、誰からあなた方の宗教を学び取るのかを注意深く考察しなさい。我々はあることを望む場合には、ハディースに依拠します」というハワーリジュ派の者が語った話を伝えている。またアルハティーブ・アルバグダーディーは「異端の中でハワーリジュ派ほど正しいハディースを伝えている派はない」と言っている。ハワーリジュ派の信者によるハディース改竄は、特にスィッフィーンの戦いに参加し停戦協定に合意したごく一部のサハーバを不信仰者とみなしたことから、該当するサハーバが伝えるハディースのみを対象に行われるようになった。しかし同派によるハディース改竄は、あっても取るに足らぬ微々たるものであったか、個人的なもので、ハワーリジュ派に改竄のレッテルを貼ることはできない。 |
◆◇ムァタズィラ派によるハディース改竄の有無 |
ムァタズィラ派の起源は、アッバース朝初期の学問の中心地であったイラクのバグダードとバスラにおけるアッラーの定められた天命と人間の自由意志をめぐる神学論争の中から、人々の求めに応ずる形で自然に発生してきた合理主義に遡ることができる。同派は理性を駆使して徹底的な合理主義を貫いた。同派は22の分派に分かれてそれぞれの主張を展開した。主たる主張は以下の如くである。
1.預言者ムハンマドの奇跡をすべて否定する。
2.学者たちによる見解の一致(イジュマー)と類推(キヤース)を完全否定する。
3.必須の知識と一致しないハディースを論拠としない。
ムァタズィラ派全体としてはハディースを受け入れる傾向にあった。 |
◆◇シーア派によるハディース改竄 |
シーア派もハディースの権威を認めるという点ではスンニー派と同じ立場を採るが、シーア派とスンニー派の間ではハディースの権威付けの方法が根本から異なっていた。シーア派は預言者ムハンマド没後のすべてのサハーバを不信仰者、または背教者とみなし、彼らが伝えるハディースは改竄されたものとして悉く廃棄した。シーア派が依拠するハディースは、預言者ムハンマド、またはその従弟でシーア派初代イマームのアリー・イブン・アビーターリブからその一族を通して伝えられたもののみである。従ってスンニー派から見れば、シーア派は、すべてのハディースを改竄したことになる。シーア派によるハディース改竄は、スンニー派に対する自分たちの主張の正当化と、彼らが敵視するサハーバを徹底的に賤しめることを目的としていた。イブン・アディーは前者の例として「天使たちは私とアリー・イブン・アビーターリブを7年間にわたって祝福した。私とアリー・イブン・アビーターリブによる以外に、『アッラー以外に神はなし』との証言が地上から天にまで到達することはない」というハディースを、また後者の例として「ムアーウィヤを説教壇上に見たら、殺しなさい」というハディースを挙げている。 |
◆◇サンザカ主義者によるハディース改竄 |
預言者ムハンマドの没後イスラーム世界の急速な拡大に伴って多くの者がイスラームに改宗したが、その中には見せ掛けだけの改宗者もいた。イスラーム教義の根幹がタウヒード(一化)であることから、彼らは総じてザンダカ(二元論)主義者、あるいはイルハーク(異端)論者と呼ばれる。彼らの多くはシーア派と結託していた。彼らはイスラーム信仰を装い、敵意をひた隠しにして諸都市に入り込み、有識者を装って学者達に改竄したハディースを示しては、彼らの理性を混乱させることを常としていた。彼らはシーア派の導きに従って、信仰箇条、法解釈、そして預言者の性格に関するハディースを主に改竄した。一説によれば14,000のハディースが彼らによって改竄されたという。また彼らは、全く根拠のないハディースを次々と創作して人々に投げかけてもいた。例としてイブン・ヒッバーンは「アッラーが怒れば、その玉座が押し潰されるほどに彼の体は膨れ上がる」というハディースを挙げている。彼らはハディース改竄によって、学者達の理性を混乱させ、明瞭なイスラームの信条を抹殺し、かつての自分たちの信条を復活・再興させようと望んでいたのである。 |
◆◇ハディース講釈師によるハディース改竄
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イスラーム諸学を修得したハディース講釈師は、モスクで大衆を相手に説教をする際に、当初は否認されるべきハディースや捏造されたハディースなどをテーマにしていた。ところが大衆がそのような内容には飽きたらずに理性を超越した、あるいは涙を誘うようなハディースの講釈を求めるようになると、次第に根拠のないでたらめな講釈をし、ハディースの本文だけではなく、伝承経路をも勝手に作り替えるようになっていった。一般大衆のハディースに対する理解の欠如と講釈への過大な期待が、講釈師をハディース改竄へと走らせたのである。彼らがハディースの改竄に手を染めるようになったのは、正統第2代カリフ・ウマルの暗殺後のことである。既に正攻法的な理論のみでは癒すことができないほどに、理不尽なイスラーム社会の動乱は人々の心理と理性を蝕み始めていたのである。 |
◆◇敬虔な信者による無知ゆえのハディース改竄 |
敬虔な信者の中にも、無知ゆえに、人々が善行を積んで悪行を避けるよう望むあまりにハディースを改竄した者がいる。彼らは、信者達の心を安らげようと思うあまりに、懲罰に関する内容やあまりにも多くの事項を命令するような内容のハディースを改竄して、多くの人々に伝えるようになった。また神学派の一派であるカッラーミー派には「私に反して意図的に話を捏造する者」というハディースについて、我々は預言者のためにハディースを捏造するのであって、彼に反して改竄するのではないと主張して、人々が率先してアッラーの命令に従い、アッラーに反抗する行為を避けるようにする意図を持って行われるハディースの改竄を認めた。イブン・アディーは「善行や禁欲を積んでいるといわれる者以上に話を捏造する者は見たことがない」というアブーアースィム・アルアビールの言葉を伝えている。 |
◆◇郷土主義、部族主義、学祖崇拝によるハディース改竄 |
イスラームの拡大が進み、諸都市にアラブが進出していって他民族との共存が広まり、異部族間での婚姻が普遍化してくると、次第に部族主義は薄れ、代わって郷土主義が台頭してくるようになった。そしてある特定の都市を讃えるハディースや、他の都市を非難するハディースを捏造するようになった。シリアのアハマド・イブン・キナーナは「信仰が地上から消滅したら、ヨルダンにそれを見いだす」というハディースを捏造している。部族主義・民族主義、あるいは特定の言語に対する偏重によるハディース改竄の例として、イスマーイール・イブン・ズィヤーダ・アルカッターンが伝える「至高なるアッラーが最も嫌われる言葉はペルシア語である。悪魔の言葉はフーゼスターンの言葉。業火の民の言葉はブハーラーの言葉。そして楽園の民の言葉はアラビア語である」等がある。また学祖崇拝による改竄の例としては「私の後に、アブー・ハニーファ(イスラーム法学の一派ハナフィー学派の開祖)という名で知られるアンヌァマーン・イブン・サービトが、アッラーの教えと私のスンナをその両手で再興するためにやってくる」というものがある。 ▲上に戻る▲ △トップページに戻る△
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